DIARY

2009.11.27(金)

12月23日に行われるイベント、
"L'ULTIMO BACIO Anno 09"のリハーサルをした。
ひとりでやるギターの弾き語りは、
オリジナル・ラヴのライブではずっと昔から、
興が乗れば最後に一曲だけやるというスタイルでやってきたのだけれど、
一昨年あたりから田島貴男として弾き語りだけでやるライヴを、
機会があるごとにやってきている。
弾き語りだけでやるライブは、
ぼくとしてはいままでは試行錯誤中だったのだけれど、
だんだん面白く感じるようになってきててさ。
今度のイベントでは、自分の弾き語りのスタイルというのを、
みなさんにひとつ形としてお見せできそうな気がしているんだけどな。
このイベントで共演する「大橋トリオ」という人も、
70年代のアメリカのシンガー・ソング・ライターみたいな感じの、
とてもいい音楽を聴かせてくれる人で、
ぼくは会えるのを楽しみにしているんだ。
これからは弾き語りのライブを、
機会があればもう少しやってみたいと思っているんだけどな。
でももちろん4ピースバンドでやるオリジナル・ラヴのライブツアー、
"Hole Shot Tour"(来年1月12日からスタート)を、
ぜひみなさんに観てもらいたいんですよ!
こちらは打って変わって真冬なのに、
クールでホットでダンシンでロッキンな熱いライブにしようと思っています。
やっぱみんなで音楽でいい気分になりたいもんね!
気軽な気持ちで遊びにきてください。

それからもう間もなくこのDiaryは、
ブログ形式のWebページになります。
最近要望がちらほら出ておりますRSS対応にもなる予定です。
よろしくおねがいしますね〜。


2009.11.25(水) 

注文していたアコースティックギター用のピックアップが届いたので、
さっそくサザンジャンボに取り付けて、
いろいろセッティングを変えテストを繰り返す。
最近のアコギ用のピックアップはすごくいい感じになっているんだな。
気持ちが良くてずいぶん長時間弾いた。
音が良くなるとプレイも変わってくる。
ギターにギターの弾き方を教わる。
新しいピックアップがギターの奏法のイメージを新しく喚起させる。
そして歌い始まってメロディーができたりする。
ギター弾きに限らず、
サックス吹きとか、トランペット吹きとか、
ミュージシャンは、楽器に音楽を教わることって、あるんだよな。

2009.11.20(金)

アレックス・チルトンを聴いている。かっこええ。
クレイジーないい音を聴かせてくれるなあ。
音楽っていうのはなにをやったっていいんだ、
ということを思いださせてくれる。
外れた音を奏でる各楽器の一音一音が詩だ。

彼はボックストップスっていうガレージパンクバンドをやっていた人だ。
むかしぼくがマッシュルームカットだった頃、レッドカーテンの頃、
ナゲッツというガレージパンクのオムニバスアルバムをよく聴いていて、
ボックストップスも入っていたと思ったけれど、
もうどんな音だか忘れてしまった。
たしか木暮がレコードを持ってたような気がするな。
ナゲッツに入っているバンドでは、
アイドル・レースってバンドやムーヴというバンドが好きだった。
彼らは後にELOというバンドで大ヒットした。

時間が取れなくてオートバイに乗るのは当分先になりそうだ。
乗りたくて多少禁断症状が出てきている。


2009.11.13(金) 

おっとっと。
ちょっといろいろやらねばならないことが立て込んでいて、
日記を書くのもままならなくなっているな。

この間斉藤君の家で、
ストレイキャッツのギターをスカパラ加藤にすこし教わったのだけど、
ブライアン・セッツァーのセンスの良さにあらためて脱帽したな。
この人は幼い頃誰かにギターを習っていたのではないだろうか。
独学で10代の頃すでにあんなギターを弾いていたとは考えにくい。
ジャンゴ・ラインハルトやチェット・アトキンスの影響。
それでいて頭の良さをへんに臭わせないスタイル。
ただのロカビリーのギタリストじゃないんだよな。
ドラマーが立ってドラムを叩くあのスタイルもすごいクール。
50年代のロカビリーのドラマーは、
べつに立ってドラムを叩いていたわけではない。
あれはジーン・ビンセントか誰だかのアルバムジャケットに、
立ってドラマーが写っていたのがかっこ良くて、
そのままのスタイルでプレイしてみたのが始まりだったらしい。
50年代のロカビリーを真似たようで実は真似たわけではない、
独特のおしゃれな音楽だったんだよな。
とてもよくセルフプロデュースされたバンドのように思えるんだよな。



2009.11.10(火)

ギターを弾いて歌って過ごした。
新しい弾き方を試したり、新しいエコーを試したり。
歌にエコーがかかるとなんですこし気持ちいいような気分になるのだろう。
大昔の人が歌った場所は、岩山に囲まれていたり、洞窟だったりして、
ぼくらの細胞がその頃のことを思いだすのかな。
堅く乾いた枯れ枝を打ち鳴らし、岩山に跳ね返る冷たい残響音を聴いて、
古代の人も笑ったのか。
「木霊」と書くくらいだから、残響音を昔の人々は霊魂の声として聴いたのだろう。
深い残響を感じながら歌えば、森の霊魂とユニゾンで歌っている気分になったのか。
つまりエコーがかかると気持ちがいいっていうのは、自然と一体化した気持ちよさなのか。
闇の森に消えてゆく歌の余韻というのは、どこかセクシーだ。



2009.10.8(木) 

シビれた。また惚れた。ビートルズのファーストに。Mono Boxを今日は5枚聴い
た。最初に聴いた「サージェント・ペパーズ」で「ワーオ!」となり、次に「ラバー
・ソウル」で「ほほう!」となり「リボルバー」で「へえー」となり、「プリーズ・
プリーズ・ミー」で、「ガチャーン!!!!」と心の中でショック音がした。そして
「ウイズ・ザ・ビートルズ」で「なるほどね」となった。
最近ではロックはもちろんパンクさえも不良の音楽というイメージはないのだけれ
ども、70年代頃までは、ロックを聴いている人は不良だと言われることがあったみ
たいだ。ぼくが中学1年になってロックを聴き始めた1978年頃もすでに、そうい
う言われ方はほとんどなくなっていたが、中学3年に神戸から福島に引っ越した先の
中学校では、歳のいった先生方はまだそういう言い方をしていて、「ヘエー」と思っ
たものだ。
かつてなぜロックが不良の音楽だと言われたのかは、このビートルズのファースト
アルバム"Please Please Me"の影響が大きかったのではないかと、今日、ビートルズ
Mono Boxを聴いて思った。
ぼくは中学1年の頃に初めてビートルズを聴いてファンになって、20代くらいま
ではずっと「ホワイト・アルバム」や「サージェント・ペパーズ」などの、アーティ
スティックな後期ビートルズが好きだった。初期のビートルズは、パンク、ニューウ
ェーヴを聴いてきたぼくには曲がシンプル過ぎるし、ルックス的にもアイドルバンド
のよう見えたので、そんなにものすごい好きというわけではなかった。ところが30
歳過ぎくらいからどんどん初期のファンになっていって、今や、一番好きなアルバム
はファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」となった。大人になって、自分
が歌をうたう道を歩いて、気がついたら、歌を聴いただけで、その歌い手がどんな人
物かなんとなく想像できるようになった。ビートルズのファーストの、劇画タッチの、
不良くささがぷんぷんしている歌と演奏は、惚れ惚れしてしまうほど渋くて絶対にか
っこいいのだ。リマスターされて、そのかっこよさの解像度が上がっていて、「ガチ
ャーン!!!!」と心の中でショック音がしたのだ。
もうずいぶん前に、「バックビート」というデビュー以前のビートルズが描かれて
いる映画を見たとき、ジョン・レノンがものすごい不良の設定になっていて、この脚
色はトゥーマッチだと思ったのだが、今は、全然トゥーマッチに思えないのである。
ビートルズのメンバーはそうとう不良だったんだろうなあということが、アルバム「
プリーズ・プリーズ・ミー」からぷんぷんにおってくるのである。詳しい人に聞くと
ころによると、ストーンズよりもずっと不良だったらしい。とくにまだ20前後のジ
ョンの、イキガリっぷり、ジゴロぶりはすごい。年上の女性にえらいモテただろう。
大ブレイクし始めて、アイドルのフリをし始めたのが「ウイズ・ザ・ビートルズ」か
ら、ということなのではないかと、ぼくは今日あらためて思った。
最近は、たかだか20歳やそこらの若造がほれぼれするほどかっこ良く思えること
はめったにないのだけれども、「プリーズ・プリーズ・ミー」のビートルズは間違い
なくかっこいい。なぜそんなにかっこよく思えるのか。
60年代まで、ポピュラーミュージックは大人が聴いて楽しむ機会も多かった。日
本もそうだったのだが、ヒットチャートも、大人向けの曲が多かった。いつからか、
若者は若者特有のナイーブな心情を若者だけに向けて歌うというロック、ポップスの
スタイルが定着し、いま現在はそれが揺るぎないものになっているけれども、60年
代の頃、ポップスは大人が好んで聴く機会も多かった。ビートルズが、ファーストア
ルバムでカバーしている曲は、大人向けの黒人ダンス音楽だった。 
「プリーズ・プリーズ・ミー」のかっこよさは多分、今の若いロックミュージシャ
ンと違って、やたら渋い曲をめいっぱいイキがって歌っているからではないか。大人
向けの歌を若い男が粋がって歌うかっこよさ。大人に、こいつヤバいと思わせるほど
の音楽を彼らは演奏していた。ビートルズはハンブルグのストリップ小屋や、たちの
悪い大人も出入りするクラブで演奏するうち、若い奴らはもちろん大人も舌を巻くグ
ルーヴミュージック、ロックンロールを演奏する技術を身につけていた。ビートルズ
は、めちゃかっこいいブルーアイドソウルを演奏するバンドだった。




2009.9.30(水)

今日は仕事が進んだ日だった。昨日は車で遠くまであても無く走った。どんな感情
を書くべきか考えてみるためだ。いろんな仕事の仕方があるだろうが、ぼくの場合、
車で当ても無く走るのも一つの仕事の方法だ。作詞において、なにについて書くのか、
作詞のスタート地点を漠然とでも良いからある程度絞らないと、いくら机の上で奮闘
してもどうにもならないことが多い。なにについて書くのか、どんな感情を書くのか
を決めてゆくことは、ぼくにとっては作業ではない。空気の中に、なにかを嗅ぎつけ
てゆく。感性が仕事始めの道具なのだ。本を読んだり映画を観たり友達と馬鹿話した
り散歩したり無駄なことをしたり。あらゆることが作詞のヒントになるかもしれなく
て、でもどこにもはっきりした答えは見つからない。長い時間が過ぎるときもある。
ヒントを拾い集め、進む方向を決めてゆくのは、車に乗ってあても無く走って、運転
席でいろんなヒントを反芻する中から少しづつ見えてくることもある。方向が決まっ
てくれば、あとは部屋の机の上での作業になるのだ。今日は作業の進んだ日だった。


2009.9.14(月) 

ぼくは自分の音楽を時々ポップスだと言っていて、それは単なるヒットチューンと
いう意味のポップスとは違う意味を込めたオルタナティブロックのようなポップスだ
と言いたいのだけれど、じゃあそれはいったいなんなんだというふうになると、いつ
もなんか頭ん中がごちゃごちゃしちゃっていい倦ねていたのだけれど、今日松尾芭蕉
の本を読んでいて、あ、芭蕉はおれがいい倦ねていたことを、そういう言葉で言って
いたのかと思ったんだ。
それは「不易流行」という言葉で、不易というのはずっと昔からこれから先もおそ
らくそんなに変わらない人間の本性というか普遍的な心の性質、人間性みたいなもの
で、流行は文字通り、移り変わる人々の気持ち、変わって行く時代、生活、常識、表
現のスタイルなどで、表現を突き詰めて行くと、両者は相反するようでいて実は一致
するのだというような考えだ。
変わりゆくものと変わらないものを両方同時に追求してゆくことは音楽を作る上で
ものすごくむつかしいし、それを両方やり続けて行くことは半端ない労力を使うのだ
けれども、もしそれがやれたなら、その作品の力と、それを表現したことの体験は確
かなものに違いなくて、それこそがものを作る人間達にとっての一番の醍醐味だと思
うんだよな。そういうことがいつかできたらいいよなと思いながら音楽を作っている
ところはあるんだけどな。



2009.9.13(日) 

友達にツーリングに誘われたが、用事があったので断らなければならなかった。で
も今日はからっと晴れていいツーリング日和だったろうなあ。

MGMTのアルバムを相変わらず良く聴いている。彼らの音楽は、いかにもシーケン
サーで作ったなあという感じ、コンピューター時代のオルタナティブロックという感
じがして、それでいて歌の気怠いムードとか、メロディのセンスが利いていて、曲が
良い。

ビートルズの例のリマスターCDをCD屋でヘッドホンで聴いた。ビートルズの名曲
だけに、このマスタリングは一曲一曲かなり時間と労力をかけたのかもしれない。ま
だ数曲を店のヘッドホンで聴いただけなので確かなことは分からないけれど、歌や楽
器のそれぞれの音がとてもクリアに聴こえて聴き入ってしまった。ただ音がいいとい
うだけじゃなく、マスタリングがどうのこうのということを離れて、ビートルズの曲
の良さ、メンバーの歌と演奏の良さを駄目にしない方向の、音楽的なマスタリングに
なってるようだったので、良さそうだと思った。この仕事が、偉大なビートルズの曲
の「マスタリング音質自慢」に終わっていないことがうかがえて、すこしほっとした
気分だ。それでも古い音質に慣れた自分には、こんなにハイ上がりでビートルズを聴
く必要があるのかという疑問が完全に消えることはないが、多分もうじきBoxで購入
するだろう。
マスタリングという作業は、音楽の作り手にとって、ここのところ問題だと言って
話題に上る作業だ。マスタリングは、ミュージシャンが長い時間をかけて一生懸命作
った曲を最後に生かすか殺すかするようなこともあり得る、責任重大な仕事だ。エン
ジニアとしての経験と、音楽のセンスと、音楽の幅広い知識も必要なむつかしい作業
で、ぼくは個人的には、素晴らしいマスタリングエンジニアは、世界でも多くはいな
いと思っている。
マスタリングという作業は、ミックスダウンされたいくつかの曲のマスターテープ
(ファイル)を、最終的に細かい音質の微調整を施してつなぎ、アルバムやシングル
の完成形を作る作業だ。その微調整は、かつては音楽を相当聴き込んでいる人でない
と分からないような微妙なものだったのだが、1990年代後半から最近まで、ミッ
クスダウンまでした音楽のムードをかなり変えてしまうような過激なマスタリングが
よく行われるようになった。音がより派手に聴こえるよう、楽器や歌になんでも強く
コンプレッサーをかければ良いという風潮があった。その風潮はマスタリングにして
もそうで、作者の意図を遥かに越えて過激に必要以上にコンプレッションされたりEQ
を施されたりした曲が、よく街で聴かれるようになった。そういったサウンドは、パ
ッと聴きは派手に聴こえて、曲の音量もレベルいっぱいまで入りきっているから、い
ろんな場所でかかっても音が大きく聴こえて、曲が存在を主張するのだが、曲全体を
通して聴くと抑揚がなく、歌手や音楽演奏者が一生懸命演奏して描いたエモーション
の流れは壊されて、音楽としての良さが失われてしまっている。最近の音楽が、なぜ
なかなか音楽的に聴こえてこないのかの理由はいっぱいあるのだが、そういったやり
すぎたマスタリングが影響していることもあると思う。ぼくの知っている音楽制作を
やっているミュージシャンの中には、マスタリングをしないでCD化したいと思ってい
る人たちが少なからずいるくらいだ。


2009.9.9(水)

ジャズ喫茶に行って、そこで久しぶりにビリー・ホリデー「奇妙な果実」を聴いた。
前にも書いたかもしれないが、「奇妙な果実」は、アメリカ南部の黒人がリンチを受
け、殺されて木に吊るされている様のことを歌っている。ビリー・ホリデーの歌の暗
さは、黒いダイヤモンドのように異様に美しい輝きを放っている。幼い頃から非人道
的な扱いを受け不幸の連続だったという彼女の壮絶な人生が、彼女の歌をあれほど美
しいものにしたのか。美空ひばりもおそらく影響を受けたと思われる彼女の歌は20
世紀の素晴らしい遺産だと思う。
しかしそれにしても、いまのこの時代は、ビリー・ホリデーのような歌の世界を受
け入れられるものなのだろうか。「奇妙な果実」の時代から現在に至るまで、文化の
豊かさは果たして得られたのか失われたのか微妙な感じがする。




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