DIARY

「嘆きのピエタ」と「悪いやつら」

久しぶりに韓国映画を二本。

話題のチェ・ミンシク、ハ・ジョンウ主演「悪いやつら」。
チェ・ミンシクがますます良い。
一人の悪い税関職員がとあるきっかけで裏社会に入り、
その悪賢い才能を開花させる。
出演する人物が全員悪いやつら。
北野武の「アウトレイジ.ビヨンド」を思わせるところがある。
人間のズルさ、悪賢さ、残酷さ、汚さ、卑小さばかりが羅列する。
馬鹿馬鹿しさ、皮肉、笑いも含んで進むストーリー。
チェの家族を思う気持ち以外、
ほとんど人間のいいところが描かれていないのが面白い。
痛快なエンターテイメント映画。

キム・ギドク監督の「嘆きのピエタ」。
主人公ガンドは浪花金融道のごとく利子が十倍の金貸しの取り立て屋。
浪花金融道のような情けは一切なく、
血も涙もない極悪な取り立てを次々と行ってゆく。
そこに現れた主人公の母を名乗る女ミソン。
この女優が揺れ動き屈折する難しい人間心理を見事に熱演している。
金とはなんだ、というガンドの質問に、
「すべての始まりで終わりよ。生活、愛、欲望、復讐、暴力…」(うろ覚え)と答えるミソン。
ガンドの人物像の作り込みが若干甘い気がするが、
ミソンの内面の複雑さは実に素晴らしい。
韓国映画の面白さ、素晴らしさを存分に思い知らされるいい映画だった。

 

何光年も離れて

弾き語りツアーが始まった。
また新しいスタイルを披露することになったこのツアー。
去年よりももっとギターと歌が面白く感じる。

最近はずっとほとんどケニー・バレルばかり聞いていて、
久しぶりにジム・ホールのアルバム”It’s Nice To Be With You”を聞いたら、
以前聞いた時とすごく違って聞こえたので驚いた。
ジャズギターの理解が進んだので、
彼の恐ろしくクールな演奏が以前とは段違いに自分に迫ってきて感動した。

ジャズギターを始めて半年と少しの時間が経ち、
ジャズのことが以前よりも分かってきているが、
分かってくるほどに、
今まで知っていたジャズギタリストのテクニックの凄さ、独創性、深さを知ることになり、
どんどん彼らとの距離が遠ざかってゆく。
最近ではもう彼らの姿が肉眼では見えないほど遥か遠いところにいる。
星のように何光年も離れて僕の夜空に彼らが輝いている。

 

寝る間も惜しんで

弾き語りツアーのリハーサルが続く。

弾き語りを始めてから何年か経ち、
リゾネーターギターによるカントリーブルースギターや、
ワイゼンボーンによるハワイアン、
そして最近はジャズギターまで勉強しはじめたため、
弾き語りのギターのアイデアが今までよりも高度になってきて、
弾くのがけっこう難しく、
練習量がいままで以上に要るようになってきている。

練習しているとあっという間に時間が過ぎて、
一日がみるみる過ぎてゆく。

冬なので寒い中に暖房を付けていると眠くなる。
眠くなると練習が捗らないので困ったものだ。
練習が睡魔とのせめぎ合いのような状態になっている。

自分に求めるギター演奏のクオリティが上がっているが、
しかしギターを練習することが以前よりも全然楽しい。

寝る間も惜しむ楽しさがクリエイティブの原動力であることを、
今更ながらに思い出している。




 

ストレッチ

いろんなところで話題になったようだが、
この間のグラミー賞のダフトパンクのパフォーマンスは感動した。
グラミーはそのパフォーマンス以外見ていない。
あの瞬間だけ、
久しぶりに音楽が人に夢を与えてくれるものであることを思い出した。
2000年以降のポップスと70年代のポップスが繋がった瞬間だった。
ダフトパンクの2000年以降のDJ的なセンスと、
ナイル・ロジャース、オマー・ハキム、スティービーをはじめとする、
1970年代に肉体的な演奏を極めた一流のミュージシャンの演奏が見事に融合したエンターテイメントだった。
ミュージシャンたちがグルーヴを楽しんで笑顔になってるのを見るのが嬉しかった。
グルーヴに反応して踊りだすポール、リンゴ、オノ・ヨーコ、スティーブン・タイラー、ビヨンセ等の映像がまた良かった。

ダフトパンクの最新アルバムは懐古的かもしれないが、
ナイル・ロジャース、ファレル・ウィリアムス、ダフトパンクというプロデュース力の高い人たちが集まって、
個性を打ち消し合わず、それぞれの良さがマッチしていたアルバムだった。

グラミーにノミネートされた音楽をざっと聴いたが、
どれもそんなに新しさは感じられなかった。
むしろ「新しさ」から「古さ」へ逆行したダフトパンクのアルバムが新鮮に目に映ったというべきか。
それよりここのところ数年の音楽の代わり映えのなさが気になった。
いつも感じるアメリカ音楽の層の厚みがそれほど感じられなかった。
リリースされたアルバムの総数が少なかったんじゃないだろうか。

グラミーという枠の中だからそう感じたのか、
ポップスが今そういう現状なのかは分からないが、
いずれにしろ僕の曲作りはまた始まった。
曲作りの準備運動みたいに、
ストレッチするつもりでイメージし始める。
僕はまだ音楽について分からないことが多すぎる。









 

知らず知らずに

久しぶりに優れたポップスを聴く。
とても素晴らしい音楽で、世界的にヒットした曲だが、
今は忘れ去られているような曲だ。
僕はその曲の作者のことを思った。

ロックンロールであることは重要かもしれない。
しかしポップスであることのほうがいろんな面で難しいのだと思う。
困難で報われず、時が去れば忘れ去られることの方が圧倒的に多い。

例えばジョン・レノンがやっていたことはたしかにカッコいいし、真似できないものだが、
ポール・マッカートニ−がやっていたことの方が音楽の構造としては何倍も高度だ。
音楽を作る行程ではおそらく何倍もタフな作業だったろう。
しかしそういったことは、一般的にも、専門的にさえもあまり重要とされないし、気付かれもしない。
音楽として、ポップスとして優れていることよりも、
アーティスト性がどうとか、ロック的かどうかとか、
その人にまつわる物語が面白いかどうかのほうが一般としてウケるというのは、
自分にもそういう傾向があるしよく分かる。

でも僕は時々、
本当はそんな物語なんか別にどうでもいいのではないかと思ってしまうのだ。
作った人や歌った人の物語などとは関係なく、
人々が知らず知らず口ずさんでしまっている曲というのは、
やっぱり素晴らしいと思うのだ。









 

ギターが主役になった頃

ギブソンのギター、
L-7を毎日弾きまくっている。
1940年代のギターで、
弾けば弾くほど、
このギターの素晴らしさが分かってくる。

1930年代から40年代のギターの作りは手が込んでいる。
豊潤な音がする。
職人が一本一本ギターの響きを確認しながら作っていた感じがするのだ。

当時ギターは楽器の主役というよりも、
官楽器などの伴奏楽器で、
脇役という位置づけだった。
ギターがソロをとるのは珍しいことだったようだ。

1950年代にロックンロールが誕生して世界的に大流行し、
ギブソンやフェンダーといったエレキギターが大ヒットして大量生産されるようになった。
エレキギターが楽器の主役となる時代が到来したのだ。

ジャズでもウェス・モンゴメリーというスターギタリストが登場し、
エレキギターがリード楽器たりえることが一般的に知られるようになった。

その頃に、
ラーメン屋がチェーン展開し始めた時に味が変化するように、
ギター制作の現場も変化したのではないか。


今年も速かった。
ライブの本数が増え、
ジョギングの距離を伸ばし、
ジャズギターの練習を始めたら、
すっかりこの日記をサボりがちになっている。

もう少し頻繁に書きたいところだがどうなることやら。
来年はスーパーマンになるしかないか(笑)。

みなさまよいお年を。




 

ファーストアルバム

グラント・グリーンの"Grant's First Stand"、
ウェス・モンゴメリーの"Incredible Jazz Guitar"、
ケニー・バレルの"Introducing Kenny Barrel"、
ジム・ホールの"Jazz Guitar"。

最近は好きなギタリストのファーストアルバム、
(もしくは最初に注目されたアルバム)をよく聞くようになった。
なんだかいい感じに聞こえるようになったのだ。
これらのアルバムのジャズギターらしさが好きだ。

自分もジャズギターを始めたので、
各アーティストの初期の曲の方が、
ギター初心者の自分にとって参考になるような気がしてきているからかもしれない。

それぞれのアーティストのいちばん完成度が高いと思うアルバム、
いちばん好きなアルバムはまた別だ。

でも、
やはりアーティストは最初のアルバムで、
その人ならではの個性を決定的に打ち出してしまっているのだと思う。

 

ジム・ホール逝く

すっかり寒くなった。
ジョギングするのが億劫になる季節がやってきた。
寒さでからだが縮こまる。
外に出るのが面倒になる。

エイヤッとばかり外に出て1、2キロ走れば、
自然にからだは温まって走りに惰性がついて、
足が勝手に動く。

ぼくがジャズギターの世界にハマるきっかけになったギタリスト、
ジム・ホール氏が亡くなった。
ボブ・ブロズマンの影響でジャンゴ・ラインハルトを聞きはじめ、
ジョー・パスに興味を持ち、
そしてジム・ホールの”Live!"というアルバムに出会った。
このアルバム によって決定的にジャズギターに興味を持つようになった。
20年くらい前に、
ビル・エバンスとの"Undercurrent" とソニー・ロリンズとの”Bridge"は聞いていたが、
ジム・ホールのギターの美しさにその頃は気付かなかった。
1975年の"Live!"は60年代から新しいジャズギターの可能性を模索していたジムの仕事が結実したような、
美しい官能的なアルバムだ。
彼のギターはスポーティーとか、アクロバティックとか、
早引きを弾きまくる曲芸的なギターではないが、
ギタートーンは深くイマジネーションに富む。
和音のセンスは息を飲むほどリリカル。
複雑にスケールを使って空気のキャンバスに絵を描くように演奏する。
その旋律はキュビズムの絵画のように象徴的で、
ピカソが描いた貴婦人のように多面的で叙情的な表情をたたえている。

70年代以降の彼のギターの旋律はどこか映像を感じさせる。
印象派の絵画のような暗示的な映像だ。
彼が雑誌のインタビューで、
絵画を鑑賞するのが好きだと言っているのを読んで納得した。

彼の演奏を生で見ることができなかったのが残念だ。
僕の世代は、
ジャズがスリリングな音楽として存在していたことを知っているが、
いまの若い人たちはどうなのだろう。
願わくば若い人たちに、
ジム・ホールやウェス・モンゴメリーのような、
すばらしいジャズマンを知って欲しい。

 

重たいかばん

朝方は雨が土砂降りだったので、
今日はいつも持ち歩いているお気に入りのギターを持って行くのをやめた。
持ち歩かなくてもアトリエにギターがあるので支障はない。
でもそのギターを持ち歩いていつでも弾けるようにしておきたいのである。
馬鹿げた願望だ。

僕はいつも荷物が多すぎる。
今日もかばんの中に入れる本をできるだけ少なくしようと、
持ち歩く本を選んで泣く泣く棚にしまって、
ぎりぎりまで絞り込んでも、
まだかばんは重たい。
そのくせかばんに入れた本は今日も一回も開かなかった。

いま持ち歩いている本はすべてジャズの本である。
最近小説は全然読んでいない。

「クリスマスラブ」のメニューを考える。
ひとりソウルツアーの余韻が抜けきらず、
なかなか頭が切り替わらなかったが、
ツアーのからだがここのところやっと日常のからだに戻ってきた感じがする。

柔軟体操をするように、
頭をちょっとずつ柔らかくして、
アイデアを練ろうとするが、
どうもまだイメージがふわふわとしている。

ジャズの勉強をしていることで、
楽譜を書いたり読んだりすることが多くなったので、
仕事が少し効率的になりそうな気がする。


 

グラント・グリーン

ひとりソウルツアー、しーたか40、FNS歌謡祭など、
息つく間もない日々が過ぎて、
やっといま少しだけ一息入れている。
日記に書きたいことがいっぱいあったが忘れてしまった。

ひとりソウルツアーで全国を回り、
東京に帰って最後の二公演を迎える直前に、
長い間修理に出していたGIbsonL-7が帰ってきた。
それ以来ずっとそのギターを弾いている。
少しでも時間があればジャズギターの練習をしている。

ジャズのフレーズの理解が少しずつ進んでいる。
同時にジャズギターの奥の深さと種類の多さも見えてくる。

ジム・ホールばかり聞いていたときピンとこなかったグラント・グリーンが、
今はびんびん心に響いてきている。
理路整然と深い演奏をするウェス・モンゴメリーやケニー・バレルやジム・ホールに比べ、
直感とリズムで押しまくるグリーンはロックンロールのギターみたい。
チャックベリーを感じる。
弾いているギターも近いものを使っているし。
荒削りな彼の演奏がかっこいい。



 


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