DIARY

散歩マン

出来上がった曲の歌詞を書き始めようと、
気持ちのエンジンをかけようとしたがかかりが悪い。
「知識」が見えなくさせている「アイデア」や「気持ちの振動」を探しに、
散歩に出かける。

アイデアは天から下りてくるものではなく、
探して見つけるもの。
記事や記憶をひっくり返してみたり、
誰かが捨てた言葉の屑篭の蓋を開けてみたり。

アイデアは道端に転がる石のように転がっているかもしれず、
普段の生活の中にいると気付かないで通り過ぎてしまう。
「普段」から抜け出して道端を歩かなければ見えなかったりする。
だから「知識」や「常識」を忘れるための散歩に出かける。
散歩は「普段」の町を「普段じゃない」ところから観察する行為だ。

学校の授業をこっそり抜け出すように散歩できれば、
しめたものなのかもしれない。






曲が先か、歌詞が先か

ドラッガーによると、
人には言葉に寄っている人と音に寄っている人がいるらしいが、
だとするとぼくは断然音に寄っているわけでさ。
今までずっと、
邦楽よりも歌詞の内容がよく分からない洋楽をメインに聴いてきたし、
曲を書くときも、
曲を先に書いて歌詞を後に書く、
曲先という曲の書き方をずっとしてきた。
でも近頃そろそろ違う書き方もしてみたいよなあと思っているんだ。

曲が先にできていると、
歌詞の内容は70パーセントくらい曲に決められてしまっていて、
その曲の持つ世界からあまりかけ離れた歌詞は合わない。
曲がある程度内容を語ってしまっているので、
それを壊さないように歌詞を書かなければならないから、
好き放題に歌詞が書けない。

歌詞を先に書く書き方は、
物語のネタをまず探すところから始まるわけだから、
もうまったく考え方が違うわけだ。
ネタが面白く出来上がれば、
歌詞にならなかったとしても、
ラップのようになっても良いわけだし、
語りになってい良いわけだし、
コントになっても良いのかもしれないし、
新作落語になっても良いのかもしれないし、
短編小説のようになっても良いのかもしれない。
音から離れて、
言葉で世界を作る直接的な創作の面白さが、
歌詞先の曲の作り方にはある。

ドラッガーは、
音に寄っている人が言葉に寄ることはないと言っていたが、
そこはあの世のドラッガーを「おや?」と思わせてみたいのだがなあ。
いまからでは遅すぎるのかなあ。





書けない日とか、馬鹿話とか。

寒い日は寒い駄洒落がつい口をつかないように気をつけないと。

長いことバイクに乗れてなくて軽い禁断症状が出ていたが、
ついにこの週末は乗れそうで嬉しい。
山はもうかなり寒いので完全真冬装備で来てくれと友人に言われる。
グローブは冬物で行こう。

岡本太郎はたしか、
どんな時代でも、どんな時でも、芸術は行き詰まっている、
と言っていた。

今日のように書けない日はだいたい、
書くネタがなにかあったはずなのに、
忘れてしまっていることが多いんだ。

「書くネタがないと思っている状態」とは、
世に転がっている「書くネタ」を見つける感性が、
いまいち鈍っている状態でもある。
ネタを探すことをめんどくさがっているか、
ネタ探しを忘れている状態なんだきっと。
ネタは探そうとしなければ見つからないってことを忘れているんだ。

一人で作詞作曲をしているように見えるアーティストも、
実は誰か近しい友達などに、
「これどうよ」ってアイデアを投げかけたり、
くだらないことでもなんでも言ってもらったりして、
ゆるく意見交換していることもあるんじゃないかな。
ものつくりは孤独がつきものだけど、
最初から最後までひとりきりでなにか作ると、
内省的な作品になりがちなんだよな。
いま作っているものがそうなっちゃいけない。

小さなアイデアは誰かに駄目出しされるとそこで終わってしまうが、
友達と会話の中で転がして面白がっていると、
思わぬ方向に転がって大きくなっていったりすることがある。
誰かと馬鹿話をすることはけっこう重要なんだ。



 

曲を書く前に。曲を書きながら。

雨が降り続く東京。
昨日と今日の二日間、チャリはお休み。
なんて書くと一日中チャリに乗って生活しているように思う人もいるようでさ。
毎日毎日曲を作っているんですよ。
当たり前すぎていちいちこの日記とかツイッターには書かないだけですよ。

常に大量の外野の声が耳に入ってくる騒々しさの中で、
曲を作るっていうのは、
シンガーソングライターは神懸かりになれってことなのか。

自分が生きて体験して感じて考えたり、
音楽を聴いて感じて考えたりしたことを、
ひとまとまりにするのが、
曲作りそのものなのだとしたら、
曲を書く「作業」はたまにやればいいことになる。
ぼくは少し毎日アトリエに籠り過ぎているのか?

まあそんなことはどうでもいい。
明日はチャリに乗れそうな天気だ。






AD/DC

アトリエの電源の検討見直しを始めたら、
そこは楽しい趣味の底なし沼の入り口だったぜ。
電源もバイクみたいに人を惹き込む深さがあるなんて驚きだ。
興味ない人には「は?」って話題だよね。電源....。
省エネの話じゃないよ。
普通、音楽の録音スタジオは、
電源システムを家庭で使っているものとは違った、
業務用のとても質のいいものを使っている。
電源を専用のものに替えることで、
スピーカーから出てくる音がしっかりしたものになるのだよ。
ぼくのアトリエも電源に少しは気を使っていたのだけど、
もう少しちゃんとさせようと思って調べ始めたのが、
電源沼に足を取られたきっかけだった。
もうしばらくああだこうだ迷いそうだな。

今日の午後は雨が降りそうだったから、
曇りだった午前中のうちにバイクにちょい乗りしてきておいた。
いつも行ってる散髪屋まで走ったのさ。
散髪屋のお兄ちゃんもバイクが好きだからひとしきりバイク話してさ。
そういえばぼくの知っている散髪のお兄ちゃん3人は皆バイクに乗っている。

レコーディングに備えるために
ひたすらハードディスクの中身をDVDにバックアップしながら、
出来上がっている曲の歌詞のアイデアの断片をノートに書こうとするが、
筆が進まない日だったな。
というよりどっちに筆を進ませるか迷っているんだ。
どっちの方向なのかは、
もう少し気持ちに風を当てないと決まってこない感じだなあ。






曲の2種類の出来かた。

曲の出来かたに2種類があって、
一つは、一瞬のうちに最初から最後までぱっとでき上がってしまう出来かた。
もう一つは、最初は小さな曖昧な思いつきから始まって、
自分の中で一週間とか一ヶ月とか一年とか5年とかの
咀嚼する時間が過ぎた後に出来上がる出来かた。
前者はめったになくて、ほとんどが後者の出来かたなんだけど。

それで最近思うのが、なんらかの決定事項とか、なんらかの理解も、
例えば、これはこうしようとか、こうすることに決めたとか、
これはこういうことだったのかとか、彼はああいうふうに思っていたのかとか、
そういうことも、曲の出来かたの2種類と同じなされかたをするよなあと。
ふとこのあいだそう思ったのだよ。

一瞬おれって天才かもって思うような、
ひらめきや思いつきが、
すでに百パーセント正しい完成形の考えやコンセプトになっていることは、
ごくたまにはあるのかもしれないのだけれど、
実際はほとんどないんじゃないの?

思いつきっていうのは、アイデアとか考えの出発点で、
花になる前の芽とか、生煮えの料理みたいなもので、
そういう思いつきを、もう花になってるじゃんとか、
十分煮えてるじゃんとか、勘違いすると間違えちゃうんじゃないの?

時間をかけて、なんども考え直して決まってゆくこと、
やっと分かること、考えが深まってゆくことってあると思う。
時間が経つことによってなされる思考過程っていうのがあるんだと思う。

曲が出来る出来かたと、考えが決まってゆくことには、
その2種類があるよなあと、
改めて思っただけなのだよ。

いずれにしろ肝心なのは、
積極的に勇気を持って元気に丁寧に考え続けることじゃないかな。
そうしないと曲はいつまでも出来上がってこないし、
なにも具体的な行動に繋がっていかないんじゃないのかな・・・おれよ。





机の上の古代の海

今日見た映画は「マルタの優しい刺繍」
スイスのかわいらしいおばあちゃん達が、
山のなかの古い町で新しいことをやろうとして、
息子達に反対されながら頑張る話。
親と息子の立場が逆転している皮肉と、
おばあちゃん達のかわいらしさ、
心の豊かさに涙腺が刺激される。
気持ちがじわっとするいい映画だった。

DommuneでL?K?OのDJを久しぶりに見る。
相変わらずのイメージの錯乱、
DJを破壊しながら、
ジャンルをこんがらがらせながら、
オモシロクエッションなムードを作り上げる、
彼らしい楽しいDJだった。

頭の中を歩きまわり、
部屋を歩きまわり、
町を歩き回り、
そこいら中を歩き回って、
ノートを黒く塗りつぶして、
机の上の古代の海で、
歌詞を浮かび上がらせる作業をした。
重く無骨な言葉のシャフトが、
ようやくぐるぐる回転しはじめて、
少しずつ形が見えてきたところかな。
ちなみに書いている歌詞はかるーいものだよ。

白いノートは鍋にも似ている。
アイデアの元を火にかけてぐつぐつ煮込むと、
食えないもんが食えるようになってくる。
でもツイッターって鍋は穴があいているみたいで、
ちょっとずつ料理が漏れちまうんだな。
この鍋を使うコツはまだつかみきれていない。

ほぼ日の黒柳徹子さんの森繁バナシが面白い。
森繁さんに憧れる。
同じくほぼ日の「作品大賞」というコンテンツ冒頭の、
糸井さんの言葉
に興味を惹かれた。
音楽に当てはめると、
ポップスの時代から作品の時代に、
移り変わってゆくということなのだろうか。




放浪者

以前シンガーソングライターばかり集まって飲んだことがあった。
歌詞を書くのにみな苦労しているのは一緒だが、
面白い共通点があることを知った。
ひとり旅をする者が多かったのだ。
ひとり部屋にこもって頭の中で旅する者。
ひとりバイクや車で山や海にキャンプをしにゆく者。
ひとり電車で行き当たりばったりの旅を続けるもの。
寝台列車で旅をする者など。
なかなか味な孤独の楽しみ方をみな工夫して見つけていて、
ぼくは感心したんだ。
シンガーソングライターは放浪者なんだって、
あらためてそのとき思ったんだ。
そしてみんなそれぞれの沈黙と向き合っている。
でもインタビューじゃそういうことはみな言わない。
一生懸命な姿をさらすのが照れくさかったり、
恥ずかしかったりするんだと思う。




アイデア氏の嘲笑

一日中曲作りをしていて集中力がなくなってきたので、
今日はもうこの辺で終わだなと思って、
片付けをしてアトリエを去ろうとする時、
今日一番のアイデアがふっと湧いてきたりする。
あわててさっき消したばかりのコンピュータをまた点けて、
一通り思いついたことを録音してから帰る、
というのがいつのもパターンなのである。
そんなに帰り際にばかりアイデアが湧くのなら、
アトリエに来てすぐに帰ればいいじゃないか。
たとえば自分に暗示をかけるように帰るつもりになって、
たとえば自分の意志のダミーをこしらえて、
ダミーの意志に帰ろうと意図してもらって、
もうひとりの小賢しい本当の自分は脳みその皺のあいだに隠れ、
アイデア氏が現れるをこっそり待ちかまえたりもしてみるのであるが、
怜悧なアイデア氏はいつもそれを察知して姿を現さず、
闇の中で本当のおれを嘲笑しているのである。
そればかりか反対に逃げの思考になってしまって、
かえって仕事に集中できなくなって逆効果なのである。
本当に帰ろうと思わなければアイデアは現れようとしない。
本当に仕事場から帰ろうとするのは一日に一回しかない。
そして本当に仕事場から帰ろうとしても、
アイデア氏は現れないことの方が多いのである。
アイデア氏の気まぐれにさんざん付き合わされるのが、
おれという、ぐうたらシンガーソングライターの日常なのである。



2009.8.11(火)  

新しい音楽ソフトを試していたらあっという間に時間が過ぎた。それなりに面白
い音色とそれなりに新しい機能がついている。パソコンの電源を入れるだけで、す
ごいいっぱい音色が飛び出してくる。簡単に曲らしきものができ上がる。この手軽
さ、便利さは、ぼくがMS-DOSにカモンミュージックをインストールしてデモを作
っていた20年前にはまったく考えられなかった状況だ。
でも、こうなったからには、逆に曲の個性を表現するには、シーケンスソフトの
ワークフローから逸脱した作曲方法で、せっかく便利になった機能に逆らって、わ
ざわざめんどくさいことをするようなかんじで作曲するような、そんな方向にある
のではないかと思われる。
音楽に熱中すると言葉が出なくなって、寡黙になってしまう。今日はそんな日だ。
こういう日はなんかの音色とか、メロディーとか、リズムで日記を付けたくなる。
今日の日記はインストルメンタルです。なんて注釈を入れてさ。




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