DIARY

Xmas Loveが終わって。

2014年は月一更新になってしまったこのダイアリー。

今年もオリジナル・ラブ・アコースティックセットの
Xmas Loveが終わって、
後は数曲のレコーディングを終えれば、
新しい年を迎えるだけになる。
あ、いやいや、
あと三曲歌詞を書かなければならなかったんだ、
そういえば....。

今年はぼくにとってダイナミックな年だった。
新年早々からサントリーのCM「ウイスキーが、お好きでしょ」の制作に入り、
ビリー・ジョエルのカバーをやって、
NHK BSの番組Coversで沢田研二と山口百恵の曲を生オーケストラを従えて歌って、
Negiccoのシングル「サンシャイン日本海」の制作プロデュースをして、
それがオリコン週間11位になって、
オリジナル・ラブのアルバム制作新曲作りおよびレコーディングに入って、
Negiccoの次のシングル「光のシュプール」の編曲をして、
それがついに彼女たち念願のオリコン週間5位になって。

ライブも今年は僕がミュージシャンになってから一番多くやった年だった。
「弾き語りツアー」と「オリジナル・ラブのツアー」と「日本縦断ひとりソウルツアー」と「カフェライブツアー」、
そしていろんなイベントへの出演。
なんだかいろんなことが起こったし、
頭の中を整理しつつ、
ヒヤヒヤしながら過ごした一年だったけれど、
近年にない充実感がある年だった。
いろんな新しい出会いもあって本当に楽しかったな。

来年はどうなるか分からないけれど、
また一生懸命生きてゆくしかないんだよな。
エブリデイ エブリデイ、
ジョギングしながら、
うまくいったり失敗したりしながら、
一度きりの人生、
長くいろんなことを続けられるように、
やれる限りのことをやっていきたいですなあ。


 

ひとりソウルツアー2014あと二本

日本縦断ひとりソウルツアーもあと二本になった。
意外に早かったなあ。

今まで一度も行ったことがない街でライブしたり、
17、8年ぶりにライブをした街とか、
いろいろありすぎて一度に思い出そうとすると、
頭がぼうっとしてしまう。

ツアー前のスケジュールが立て込んでいたので、
リハーサルがぎりぎりのペースで進んで、
最初はどうなることかと思った。
でも、いざツアーが始まってみると、
これが非常にエキサイティングなライブとなって、
各地で予想以上に白熱したショーが繰り広げられ、
なんだか凄かった。
まさにひとりロックンロールツアーという感じ。
毎回ライブが終わって後片付けの作業が終わって、
ご飯を食べる頃にはスタッフも僕もみんなヘロヘロ。
真っ白になっていた。

今年のひとりソウルは、
同期演奏やバックトラックなどは一曲も使っておらず、
すべての曲を、
ほぼ全部人力でやる大道芸スタイルだった。
ライブらしいダイナミズムは生まれるけれど、
頭と体をぎりぎりまで酷使するので、
バンドでやるよりも全然疲れた。
体調を崩さないようにするのが大変だった。

明日はついに東京公演。
一ヶ月で身に付いたひとりソウル芸を集大成して、
楽しく気持ちよく皆さんと歌って踊り、
音楽で遊びたいと思います!












 

単調と多様

人生は同じリズムでずっと続くこともあれば、
急に調子を変えて一気に変化を迫ってくることもある。
できれば均等にいろんなことが起こってくれればいいのだが、
決まってそうではないのだから不思議だ。
連鎖反応のように一度にいろいろなことが起こるのだ。
今年はなにかそういう年であるのかもしれない。

目まぐるしくいろんなことが起こって、
若い頃の僕なら少し面食らったろう。
しかし経験というのはたまに役に立つ。
慎重であるべきときと、
大胆であるべきとき。
その案配、加減が以前よりも少し分かってきているかもしれない。

しかし経験はときに判断を誤らせる。
それでも何かをしなければならない。

失敗と成功は同時にやってくる。
そういう多様な時があるのだ。

何もしなければ失敗も成功もやってこない。
単調が続くだけだ。





 

サウンド・オブ・サイレンス

とある鄙びた店に入ったら、
サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れていた。
どこにでも流れている、
ダサいもカッコイイも超えた、
希少価値が全くない、
空気のような曲。

そんな曲に興味を持つようになったのは、
パンク・ニューウェーブの、
その裏側にある価値を音楽に見つけようとしていた二十歳の頃。
人はみんな静寂の音を聞いている。
誰もが持っている普遍的な特殊性だ。
僕はいつもそういう曲が書きたいと思っていた。

その店で次にかかった曲が、
パーシースレッジの「男が女を愛する時」。
以前は興味がなかった曲だが、
この間見たマスルショールズのドキュメント映画の影響もあって、
最近大好きになった曲。
今度どこかで歌ってみようかな。

イージーリスニングと言われる音楽は、
ときになんだかバカバカしく聞こえる。
でもバカバカしくてなにが悪い。
バカバカしい自分にピッタリではないか。
そういうバカバカしさに向けて、
作家の全精力全技術が注がれた名曲が好きだ。



 

コツコツと。

コツコツと曲を作る。
コツコツと作るしか方法がないのだ。
一気に作ろうとしたら気持ちが捻挫する。
コツコツ作っても書いたことのない新しいタイプの曲は出来上がる。
コツコツと新しい方向へ進んでゆくのだ。
コツコツと大変そうに思える方向へ進んでゆくのだ。
コツコツ作るのは時間がかかるが、
ジョギングと一緒で、
継続してゆけばいつの間にか形になっている。
近道はないのだ。

でもまだコツコツとやるやり方が下手だ。
コツコツと作業をする方法を学んでいる最中なのだ。

 

2014年の夏

お盆だったり、海水浴だったり、花火だったり。
そういった夏らしいことをしないまま残暑が過ぎ去ってしまいそうな今年の夏。
ライブとレコーディングと制作とイベントが重なった8月は、
モトクロスバイクのレースのようにスリルがあって面白い。
身体が音楽に特化してゆく感覚が嬉しい。

今年はおかげさまでいろいろな仕事をさせていただいているが、
最近やったNegiccoの「サンシャイン日本海」は強い印象を僕に残した。
オリコン週間チャート10位以内を目指し、
全力で仕事に挑んだ彼女たちの姿に心が動いた。
彼女たちに触発され、
ファンの人たちがそれぞれにプロモーションしたり、
CDを買いに走った行動も、
なにか凄まじい熱気を帯びていった。
結果は惜しくも11位だったが、
得難い感動的な体験となった。
この仕事に関わって自分の中の何かが変わった感覚がある。



アーティストと呼ばれる人たちには何かしらの自負がある。
顔を見れば「私には自負があります」と書いてある。

その「アーティストとしての自負」の分だけ、
アーティストと呼ばれる人たちは、
アイドルと呼ばれる人たちより、
世間の人たちより、
劣っているのではないか。

アーティストもアイドルも無いのだ。
ただそこに人がいて、
その人がどういうふうに人に接しているか、
どういうふうに働いているか、
などの諸々があるだけではないのか。



 

マイケル

ゆっくりと、
大きな岩を少しずつ転がすように、
アルバム制作が始まっている。

作業の休憩中にマイケル・ジャクソンの昔のを聞いてたら、
あまりに素晴らしくて踊らずにいられなくなって少し踊った。

マイケルの"Off the Wall"は、
ビートルズの"Rubber Soul"やスティーヴィーの"Key of Life"と同じく、
ポップスの金字塔的アルバムだと今更実感した。
第一線のミュージシャンの演奏。
クインシー・ジョーンズの素晴らしいオーケストラアレンジ。
マイケルの歌と曲のアイデア。
どれも完璧。
ワールドカップとかオリンピックみたいな、
世界的プレーヤーの実力が結集したようなアルバムなんだよな。

"Off the Wall"がヒットしていた1979、80年頃、
僕は中学生で、
ニューウェーブ、パンクに興味を持ち始めていた頃だった。
マイケルはヒットし過ぎていて、
カッコいい曲だとは思いながらも興味をそそられなかった。

パンク・ニューウェーブの人たちがよく言っていた、
「楽器が下手でもバンドができる」
という言葉がクールに聞こえた時期だった。
マイケルはあまりにもプロフェッショナルだったんだよな。
でも実際は、
セックスピストルズやクラッシュやスペシャルズは、
楽器が下手というわけではなかった思う。

スリラーやビリージーンは音楽よりもMVの映像のインパクトが強かった。
あの頃はMVが普及し始めた時期。
マイケルはミュージシャンとしても一流だったが、
ダンスパフォーマーとしても一流だった。

ミュージシャンとして第一線の技術を持つことだってほとんどできないのに、
彼はそれだけでなくダンサーとしても一級品だったのだから、
とても珍しい人物だ。
そういう人だけが発想して実現できることとして、
あの「スリラー」があったんだよな。
マイケルがゾンビになるというアイデアは、
当時そんなにマイケルに興味がなかった僕も感動した。
マイケルがグラミーかなにかのショーに出演した時の、
ビリージーンのパフォーマンスには震えが走った。

実はクインシー・ジョーンズの仕事を確認しようとして聞いた"Off the Wall"だったが、
マイケルに圧倒された。

マイケルの影響を強く受けていると思われるファレル・ウィリアムスもいいが、
マイケルは特別だ。







 

お勉強

北関東カフェライブツアーを終え、
Negiccoの新曲作りを終え、
北海道カフェライブツアーを終えて一息。

去年は人生で最もライブをやった年だったが、
今年はさらに多くのライブをやっている。

弾き語りライブ一回一回が勉強になる。
やるごとになにかが分かるようになってくる感じがする。

そういったライブの合間にジャズギターのお勉強。
子供の頃は勉強が嫌いだったが、
今はお勉強も面白いんじゃないかと思う。

子供の頃学校でした勉強と今やっている勉強は違う。

子供の頃の勉強は、
まったく興味がないことについて無理矢理やらねばならなかった。
つまらないことを無理にやらされていたから嫌だったのだ。

自分がやりたいこと、
追求したいことの時間を削って、
やらねばならない(興味がないことについての)勉強ができなかった。

しかし社会に出れば、
興味がないのにやらねばならないことをやる能力は意外に役に立つ。
むしろ生きてゆく上で、
最低限やらねばならないと云われていることのほとんどは、
興味がないのにやらねばならないことばかりのような気もする。

でも自分は比較的子供の頃からやりたいことを思い切りやっていたほうだと思う。
中学生からずっと30年以上も音楽ばかりやっていたのだから。

やりたいことだってやり過ぎれば、
やりたいんだかどうだか分からなくなるし、
それ以上やるには、
学校のお勉強みたいに、
やりたくないことを無理矢理やるのと同じような感じになる場合もある。

やりたいことをやりまくって、
なおまだやりたくさせるように自分を探ってゆく行為が、
おとなのお勉強なのか。

でもこういうお勉強は面白い。
お勉強するほどに、
自分がやってきたことについて、
実は何も知らなかったことを知ることができるのだから。






 

破壊的と創造的。

音楽でもなんでも、
破壊的な作品と創造的な作品があるように思う。
破壊的な作品は、
刺激的、劇的、強烈、かっこいい。
創造的な作品は、
実はふつうのことを題材にしているのだが、
それがふつう以上のなにものかになっている。

創造的な作品は、
破壊的な作品に比べてふつうのことを題材にしているので、
その前を通り過ぎてしまいがちで、
つまらないような、
ダサいような感じがしてしまうことだってある。

破壊的な作品は、
度胸、意気込みみたいなものがあれば、
あとはやるかやらないかだ。
やってしまえばいいだけ。
破壊は短時間に済んでしまう。

創造的な作品は、
やってみてもほとんど出来上がらない。
出来上がる時は一瞬の場合もあるが、
それ以前に考えたり感じたり思ったりする時間をものすごく使う。
破壊的な作品より労力をものすごく使う。
無駄な時間をいっぱい使う。

破壊的な作品ばかりを喜んで、
創造的な作品を軽視するのは、
まだあまちょろいと思う。


 

寒の戻り、ケニーの手

とある仕事で丸一日フル稼働。

その後ジョギング4キロ。
4月に入って東京の桜も散ったこの頃に寒の戻り。
寒い中へろへろに疲れてなお走ったら案の定途中で久々に膝を痛めた。
痛めた時の走り方に変えチンタラと走り終えれば汗だく爽快。
空気は冬のように冷たいが汗のかき方が明らかに違う。
春の寒さなり。

ジャズギターの練習をし過ぎて左の手の指が腫れ、
さらに手首から肘の筋が痛む。
ケニー・バレルのコードフォームは非常に複雑で押さえにくく、
練習していると手の筋がおかしくなる。

彼の手は我々日本人の指関節ひとつ分大きいと、
僕のジャズギターの師匠が言っていた。
フルスケールのスーパー400を弾く感覚も、
我々とは違っているのかもしれない。

ギブソンのフルスケールはやはりアメリカ人の手のサイズに合わせてあるのだろう。
きっとハーレーのバイクのサイズと同じようなものだ。
ハーレーのバイクは、
身長185センチ以上の人を想定して作られていると店の人に聞いたことがある。

ES-175のスケールで練習するのが無難であるだろうが、
それでもケニーのように指をめいっぱい広げて押さえるのはなかなか厳しい。

最近は175ばかり弾いている。
とても完成度が高いギターだと思う。


 


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