DIARY

お勉強

北関東カフェライブツアーを終え、
Negiccoの新曲作りを終え、
北海道カフェライブツアーを終えて一息。

去年は人生で最もライブをやった年だったが、
今年はさらに多くのライブをやっている。

弾き語りライブ一回一回が勉強になる。
やるごとになにかが分かるようになってくる感じがする。

そういったライブの合間にジャズギターのお勉強。
子供の頃は勉強が嫌いだったが、
今はお勉強も面白いんじゃないかと思う。

子供の頃学校でした勉強と今やっている勉強は違う。

子供の頃の勉強は、
まったく興味がないことについて無理矢理やらねばならなかった。
つまらないことを無理にやらされていたから嫌だったのだ。

自分がやりたいこと、
追求したいことの時間を削って、
やらねばならない(興味がないことについての)勉強ができなかった。

しかし社会に出れば、
興味がないのにやらねばならないことをやる能力は意外に役に立つ。
むしろ生きてゆく上で、
最低限やらねばならないと云われていることのほとんどは、
興味がないのにやらねばならないことばかりのような気もする。

でも自分は比較的子供の頃からやりたいことを思い切りやっていたほうだと思う。
中学生からずっと30年以上も音楽ばかりやっていたのだから。

やりたいことだってやり過ぎれば、
やりたいんだかどうだか分からなくなるし、
それ以上やるには、
学校のお勉強みたいに、
やりたくないことを無理矢理やるのと同じような感じになる場合もある。

やりたいことをやりまくって、
なおまだやりたくさせるように自分を探ってゆく行為が、
おとなのお勉強なのか。

でもこういうお勉強は面白い。
お勉強するほどに、
自分がやってきたことについて、
実は何も知らなかったことを知ることができるのだから。






 

破壊的と創造的。

音楽でもなんでも、
破壊的な作品と創造的な作品があるように思う。
破壊的な作品は、
刺激的、劇的、強烈、かっこいい。
創造的な作品は、
実はふつうのことを題材にしているのだが、
それがふつう以上のなにものかになっている。

創造的な作品は、
破壊的な作品に比べてふつうのことを題材にしているので、
その前を通り過ぎてしまいがちで、
つまらないような、
ダサいような感じがしてしまうことだってある。

破壊的な作品は、
度胸、意気込みみたいなものがあれば、
あとはやるかやらないかだ。
やってしまえばいいだけ。
破壊は短時間に済んでしまう。

創造的な作品は、
やってみてもほとんど出来上がらない。
出来上がる時は一瞬の場合もあるが、
それ以前に考えたり感じたり思ったりする時間をものすごく使う。
破壊的な作品より労力をものすごく使う。
無駄な時間をいっぱい使う。

破壊的な作品ばかりを喜んで、
創造的な作品を軽視するのは、
まだあまちょろいと思う。


 

寒の戻り、ケニーの手

とある仕事で丸一日フル稼働。

その後ジョギング4キロ。
4月に入って東京の桜も散ったこの頃に寒の戻り。
寒い中へろへろに疲れてなお走ったら案の定途中で久々に膝を痛めた。
痛めた時の走り方に変えチンタラと走り終えれば汗だく爽快。
空気は冬のように冷たいが汗のかき方が明らかに違う。
春の寒さなり。

ジャズギターの練習をし過ぎて左の手の指が腫れ、
さらに手首から肘の筋が痛む。
ケニー・バレルのコードフォームは非常に複雑で押さえにくく、
練習していると手の筋がおかしくなる。

彼の手は我々日本人の指関節ひとつ分大きいと、
僕のジャズギターの師匠が言っていた。
フルスケールのスーパー400を弾く感覚も、
我々とは違っているのかもしれない。

ギブソンのフルスケールはやはりアメリカ人の手のサイズに合わせてあるのだろう。
きっとハーレーのバイクのサイズと同じようなものだ。
ハーレーのバイクは、
身長185センチ以上の人を想定して作られていると店の人に聞いたことがある。

ES-175のスケールで練習するのが無難であるだろうが、
それでもケニーのように指をめいっぱい広げて押さえるのはなかなか厳しい。

最近は175ばかり弾いている。
とても完成度が高いギターだと思う。


 

「嘆きのピエタ」と「悪いやつら」

久しぶりに韓国映画を二本。

話題のチェ・ミンシク、ハ・ジョンウ主演「悪いやつら」。
チェ・ミンシクがますます良い。
一人の悪い税関職員がとあるきっかけで裏社会に入り、
その悪賢い才能を開花させる。
出演する人物が全員悪いやつら。
北野武の「アウトレイジ.ビヨンド」を思わせるところがある。
人間のズルさ、悪賢さ、残酷さ、汚さ、卑小さばかりが羅列する。
馬鹿馬鹿しさ、皮肉、笑いも含んで進むストーリー。
チェの家族を思う気持ち以外、
ほとんど人間のいいところが描かれていないのが面白い。
痛快なエンターテイメント映画。

キム・ギドク監督の「嘆きのピエタ」。
主人公ガンドは浪花金融道のごとく利子が十倍の金貸しの取り立て屋。
浪花金融道のような情けは一切なく、
血も涙もない極悪な取り立てを次々と行ってゆく。
そこに現れた主人公の母を名乗る女ミソン。
この女優が揺れ動き屈折する難しい人間心理を見事に熱演している。
金とはなんだ、というガンドの質問に、
「すべての始まりで終わりよ。生活、愛、欲望、復讐、暴力…」(うろ覚え)と答えるミソン。
ガンドの人物像の作り込みが若干甘い気がするが、
ミソンの内面の複雑さは実に素晴らしい。
韓国映画の面白さ、素晴らしさを存分に思い知らされるいい映画だった。

 

何光年も離れて

弾き語りツアーが始まった。
また新しいスタイルを披露することになったこのツアー。
去年よりももっとギターと歌が面白く感じる。

最近はずっとほとんどケニー・バレルばかり聞いていて、
久しぶりにジム・ホールのアルバム”It’s Nice To Be With You”を聞いたら、
以前聞いた時とすごく違って聞こえたので驚いた。
ジャズギターの理解が進んだので、
彼の恐ろしくクールな演奏が以前とは段違いに自分に迫ってきて感動した。

ジャズギターを始めて半年と少しの時間が経ち、
ジャズのことが以前よりも分かってきているが、
分かってくるほどに、
今まで知っていたジャズギタリストのテクニックの凄さ、独創性、深さを知ることになり、
どんどん彼らとの距離が遠ざかってゆく。
最近ではもう彼らの姿が肉眼では見えないほど遥か遠いところにいる。
星のように何光年も離れて僕の夜空に彼らが輝いている。

 

寝る間も惜しんで

弾き語りツアーのリハーサルが続く。

弾き語りを始めてから何年か経ち、
リゾネーターギターによるカントリーブルースギターや、
ワイゼンボーンによるハワイアン、
そして最近はジャズギターまで勉強しはじめたため、
弾き語りのギターのアイデアが今までよりも高度になってきて、
弾くのがけっこう難しく、
練習量がいままで以上に要るようになってきている。

練習しているとあっという間に時間が過ぎて、
一日がみるみる過ぎてゆく。

冬なので寒い中に暖房を付けていると眠くなる。
眠くなると練習が捗らないので困ったものだ。
練習が睡魔とのせめぎ合いのような状態になっている。

自分に求めるギター演奏のクオリティが上がっているが、
しかしギターを練習することが以前よりも全然楽しい。

寝る間も惜しむ楽しさがクリエイティブの原動力であることを、
今更ながらに思い出している。




 

ストレッチ

いろんなところで話題になったようだが、
この間のグラミー賞のダフトパンクのパフォーマンスは感動した。
グラミーはそのパフォーマンス以外見ていない。
あの瞬間だけ、
久しぶりに音楽が人に夢を与えてくれるものであることを思い出した。
2000年以降のポップスと70年代のポップスが繋がった瞬間だった。
ダフトパンクの2000年以降のDJ的なセンスと、
ナイル・ロジャース、オマー・ハキム、スティービーをはじめとする、
1970年代に肉体的な演奏を極めた一流のミュージシャンの演奏が見事に融合したエンターテイメントだった。
ミュージシャンたちがグルーヴを楽しんで笑顔になってるのを見るのが嬉しかった。
グルーヴに反応して踊りだすポール、リンゴ、オノ・ヨーコ、スティーブン・タイラー、ビヨンセ等の映像がまた良かった。

ダフトパンクの最新アルバムは懐古的かもしれないが、
ナイル・ロジャース、ファレル・ウィリアムス、ダフトパンクというプロデュース力の高い人たちが集まって、
個性を打ち消し合わず、それぞれの良さがマッチしていたアルバムだった。

グラミーにノミネートされた音楽をざっと聴いたが、
どれもそんなに新しさは感じられなかった。
むしろ「新しさ」から「古さ」へ逆行したダフトパンクのアルバムが新鮮に目に映ったというべきか。
それよりここのところ数年の音楽の代わり映えのなさが気になった。
いつも感じるアメリカ音楽の層の厚みがそれほど感じられなかった。
リリースされたアルバムの総数が少なかったんじゃないだろうか。

グラミーという枠の中だからそう感じたのか、
ポップスが今そういう現状なのかは分からないが、
いずれにしろ僕の曲作りはまた始まった。
曲作りの準備運動みたいに、
ストレッチするつもりでイメージし始める。
僕はまだ音楽について分からないことが多すぎる。









 

知らず知らずに

久しぶりに優れたポップスを聴く。
とても素晴らしい音楽で、世界的にヒットした曲だが、
今は忘れ去られているような曲だ。
僕はその曲の作者のことを思った。

ロックンロールであることは重要かもしれない。
しかしポップスであることのほうがいろんな面で難しいのだと思う。
困難で報われず、時が去れば忘れ去られることの方が圧倒的に多い。

例えばジョン・レノンがやっていたことはたしかにカッコいいし、真似できないものだが、
ポール・マッカートニ−がやっていたことの方が音楽の構造としては何倍も高度だ。
音楽を作る行程ではおそらく何倍もタフな作業だったろう。
しかしそういったことは、一般的にも、専門的にさえもあまり重要とされないし、気付かれもしない。
音楽として、ポップスとして優れていることよりも、
アーティスト性がどうとか、ロック的かどうかとか、
その人にまつわる物語が面白いかどうかのほうが一般としてウケるというのは、
自分にもそういう傾向があるしよく分かる。

でも僕は時々、
本当はそんな物語なんか別にどうでもいいのではないかと思ってしまうのだ。
作った人や歌った人の物語などとは関係なく、
人々が知らず知らず口ずさんでしまっている曲というのは、
やっぱり素晴らしいと思うのだ。









 

ギターが主役になった頃

ギブソンのギター、
L-7を毎日弾きまくっている。
1940年代のギターで、
弾けば弾くほど、
このギターの素晴らしさが分かってくる。

1930年代から40年代のギターの作りは手が込んでいる。
豊潤な音がする。
職人が一本一本ギターの響きを確認しながら作っていた感じがするのだ。

当時ギターは楽器の主役というよりも、
官楽器などの伴奏楽器で、
脇役という位置づけだった。
ギターがソロをとるのは珍しいことだったようだ。

1950年代にロックンロールが誕生して世界的に大流行し、
ギブソンやフェンダーといったエレキギターが大ヒットして大量生産されるようになった。
エレキギターが楽器の主役となる時代が到来したのだ。

ジャズでもウェス・モンゴメリーというスターギタリストが登場し、
エレキギターがリード楽器たりえることが一般的に知られるようになった。

その頃に、
ラーメン屋がチェーン展開し始めた時に味が変化するように、
ギター制作の現場も変化したのではないか。


今年も速かった。
ライブの本数が増え、
ジョギングの距離を伸ばし、
ジャズギターの練習を始めたら、
すっかりこの日記をサボりがちになっている。

もう少し頻繁に書きたいところだがどうなることやら。
来年はスーパーマンになるしかないか(笑)。

みなさまよいお年を。




 

ファーストアルバム

グラント・グリーンの"Grant's First Stand"、
ウェス・モンゴメリーの"Incredible Jazz Guitar"、
ケニー・バレルの"Introducing Kenny Barrel"、
ジム・ホールの"Jazz Guitar"。

最近は好きなギタリストのファーストアルバム、
(もしくは最初に注目されたアルバム)をよく聞くようになった。
なんだかいい感じに聞こえるようになったのだ。
これらのアルバムのジャズギターらしさが好きだ。

自分もジャズギターを始めたので、
各アーティストの初期の曲の方が、
ギター初心者の自分にとって参考になるような気がしてきているからかもしれない。

それぞれのアーティストのいちばん完成度が高いと思うアルバム、
いちばん好きなアルバムはまた別だ。

でも、
やはりアーティストは最初のアルバムで、
その人ならではの個性を決定的に打ち出してしまっているのだと思う。

 


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