DIARY

最近好きなギタリスト

ジム・ホールのアルバム"Live!"(75年)を繰り返し聞く。
スリリングで刺激的で聴き惚れてしまうアルバムだ
彼の演奏はずっと前に"Undercurrent"を聞いていたが、
いまは以前と全く違って官能的に聞こえる。
本格的にギタリストとして彼が好きになった。
どう弾いているか知りたいと思うようになって、
早速譜面を取り寄せた。
このアルバムをきっかけに、
彼はジャズギタリストとしてぼくの中でジョー・パスと同じくらい
大きな存在になりそうな予感がする。

ジャンゴ・ラインハルト、ジョー・パスに次いで、
これで最近好きになったジャズギタリストは三人目。

ひとりソウルスタイルを始めて以来、
自分がハマったギタリストをここでリストアップしてみる。

カントリーブルースでは、
ジョン・リー・フッカー、ロバート・ジョンソン、ミシシッピ・ジョン・ハート、
スキップ・ジェイムス、チャーリー・パットン、サン・ハウス、
ブッカ・ホワイト、ロニー・スミス、ビッグ・ビル・ブルーンジー、
ブラインド・ウイリー・マクテル、ビッグ・ジョー・ウイリアムス
ボブ・ブロズマン、ライ・クーダー、タジ・マハル、キャットフィッシュ・キース。

ラグタイムブルースでは、
ブラインド・ブレイク、ブラインド・ボーイ・フラー、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィス。

ハワイアンでは、
ソル・ホオピイ、ロイ・スメック、サム・ク・ウエスト、キング・ベニー・ナワヒ。

ジャズでは、
ジャンゴ・ラインハルト、オスカー・アレマン、ジョー・パス、ジム・ホール。




演奏ノート

ずっと練習して弾けなかったフレーズが今日弾けるようになった。
少し嬉しい。
試しに鏡に自分の指を映して弾いたら弾けた。

速めのオルタネイトベースピッキングは、
目で見て追えるものではなく、
頭でひとつひとつのピッキングを理解して動かしていては間に合わないと思っていたが、
ある程度動くようになってから鏡で見て動きを確認するのはいいようだ。

速くて複雑なフレーズは、
最初は理解が追いついてゆかない。
だから頭で分かるというよりも、
指が勝手に動きを憶えるまで繰り返すしかない。
条件反射みたいに、
頭が指令を出す前に、
からだが勝手に動くように、
指がある程度勝手に動くように練習してゆく。
そうしてある程度できそうな気がしてきたら、
鏡を見て指の動きを確認するのは効果的みたいだ。


弾き語りは頭とからだがフル稼働だ。
押さえなければならないいくつかのポイントに意識を砕いて分散させ、
小さくしたいくつかの意識を、
ひとつの「リズム=グルーヴ」に収斂させてゆく。

意識しなければならないポイントは複数あるのだが、
意識は集中すれば同時にひとつのことしかできない。
だから意識をいくつか小さく切り分けて、
それぞれ気をつけなければならないポイントに割り当てる。
そしてバラバラになった意識を、
リズムという時間軸にそろえるようにまとめ、
うねり=グルーヴを作ってゆく。

昔読んだ、
ヨーロッパかどこかにあったオートバイのレーサー達が通う学校の教師が書いた本に、
似たようなことが書いてあって参考になったんだ。






ひとりショウ。

音霊のリハーサル。
バンドからまたひとりに戻ってのショウだ。

ひとりでのショウは実は多彩であるということを知ってから、
練習しなければならないことが山積み。
それでも面白いのだからしょうがない。

バリエーションはアイデアがあるかぎり無尽蔵。
アイデアを出すこととアコースティックギターの練習さえすれば、
すぐに音楽の全体が現れる。

しかしギターの練習をずっと続けているが、
ほんの少しずつしか上手くならない。
弾けたと思ったら次の日になるとまた弾けなくなっている。
ノロノロと蟻の速度で歩いて42.195キロ先のゴールを眺めている。

誰かに期待できないのが「ひとりショウ」。
止まりそうな速度で歩きつつも、
自分に期待して旅をしてゆくしかない。




グッドトーン

お気に入りのアコースティックラップスティールのナットにひびが入ったので修理に出し、
サブとして日本製のアコースティックラップスティールを購入した。

弾き始めると音がかなり硬くてこれは失敗したかと思ったが、
弾いてゆくうちに鳴らし方が分かってきた。
おそらくあまり弾かれていなかったこのギター、
演奏されることによって眠りから目覚めたように鳴りだした。
甘くふくよかな音がするなかなかいいギターだ。

ギターはそのギター特有の鳴らし方があって、
それは一本一本違う。
ギターをどう鳴らすか、
そのギターがどういうトーンを持っているかを、
弾き手は見つけなければならない。
そこがまたギターを弾く面白さでもある。

ボブ・ブロズマンは、
まず、いいギタートーンを出すこと、
速いフレーズが弾けることよりも、
いいトーンを出すことの方が重要であり、
速いフレーズもいいトーンで演奏されなければ意味がない、
と言っていた。

ロバート・ジョンソンも子供用の小さなギターをバツグンにいい音で鳴らした。

Sol Hoopii、Sam Ku West、Benny "King" Nawahiなど、
戦前のハワイアンラップスティールの名手たちは、
いいトーンを出すことに特にこだわっていることがうかがえる。

トリッキーな速いフレーズ弾くことよりも、
どういう音色を出すかの方が、
楽器弾きの質が問われるのだと思う。




ハワイへ

ハワイのオアフ島に旅行に行ってきたのだが、
東京に帰ってきたらこっちの方がだいぶ暑い。
夏のハワイは東京より暑くなかった。
シャワーと呼ばれるスコールがたまにあるものの、
湿度は思ったより低く、
夕方は涼しい風が吹いて肌寒いくらいだった。



エルヴィスが出演している映画「ブルーハワイ」の撮影場所となったハナウマベイは美しかった。
ハナウマベイ近くにあるコナ・ブリューイング・カンパニーというビールパブみたいな場所へ、
ボブ・ブロズマンとのセッションで知ったハワイのギタリスト、シンガー、
レッドワード・カーパーナのライブに行った。
コナ・ブリューイング・カンパニーは何種類ものビールが試飲できるそうだ。
僕はレンタカーを運転して行ったので飲めなかったが。
ピザがとてもうまかった。





カーパーナはのギターは、
ハワイアンスラックキーギターに、
ときどきロックのフレーズが入ったスタイル。
ハワイの伝統音楽を歌って演奏し、
圧巻のギターテクニックでお客さんをグイグイ盛り上げた。

アコースティック・ラップスティール・ギターを探しに何軒か楽器屋に立ち寄った。
ワイキキのDan's Guitarsはこじんまりしているが落ち着いたいい店で、
アコースティック・ラップスティールは2、3本あった。
どれもオールコアで2000から3000ドルだった。

ザ・ワード・ウェアハウスの中にあるIsland Guitarsにも一本アコースティック・ラップスティールがあった。

カイルアの町の楽器屋に一本だけあったラップスティールはオールコアで1900ドル。
甘い音色て良く鳴るいいギターだったので欲しくなり、
買おうか迷ったが結局買わなかった。



日本に帰ってすぐ、
今メインで使っているラップスティールのナットが割れているのに気付いて修理に出した。
カイルアにあったあのギターはサブのギターとしてやっぱり買うべきだった。

実際に現地に行ったからか、
ハワイの音楽が急に面白く感じられるようになった。
特に戦前に活躍したラップスティールの名手たちの音楽。
Sol Hoopil 、Sam Ku West 、Roy Smeckなど、
非常にクリエイティブでソウルフルなミュージシャンが存在していたことを初めて知った。
ハワイの音楽のピークはひょっとしたらこの辺りなのだろうか。

ハワイのみならず、
ラグタイム音楽、ハワイアン、カリプソ、デルタブルース、始まったばかりのジャズなど、
1920年から30年代の世界の大衆音楽の充実ぶりはすごかったんだなあ。

このころは音楽のみならず、絵画や文学など、芸術全般的に根源的で興味深い作品がたくさんある気がする。
産業革命が世界に行き渡り始め、
新しい文化が急激に起こり始めた時期の芸術は、
資本主義が停滞した現在とは違った鮮烈さがあるように思う。





松本のライブ、太宰と芭蕉

松本アルモーニビアン「Symphonize」に出演してきた。
なんとなく静かにじっくり歌を聴く弾き語りの会だと予想して、
2週間ギターと歌をばっちり練習し、いざ会場入りすると、
お酒が入っているお客さんたちはすでに大盛り上がり。
すごいテンションで迎えられ大騒ぎだった。

歓迎されるのは嬉しいので、
予定していたギターも歌も方針変更し、
一気にアッパーな展開になり、
曲もその場で変更。
お客さんと踊ったり大合唱したりのお祭り騒ぎになった。

2週間の地道な練習はまったく無駄になったが、
これがライブというものだろう。
予想は外れて当たり前。
短く太い時間を走り抜けた楽しいライブだった。


Kindleで太宰治の本が0円だったのでいくつかダウンロード。
「もの思う葦」を30年ぶりに読む。
高校一年の頃に読んだ時と印象がそれほど変わらず、面白い。
やっぱり太宰は一筋縄でいかない、相当な男だ。
人間通と言うか、
幸か不幸か、
いろんなことを見抜く目を持っていたのだろう。
少々混乱気味の今の日本に、
彼のような視線は必要な気がする。

「もの思う葦」に、
芭蕉が51歳で亡くなったことを知って驚いたという島崎藤村の文がある。

「老人だ、老人だ、と少年時代から思い込んでいた芭蕉に対する自分の考え方を変えなければ成らなくなって来た。(中略)『四十くらいのときに、芭蕉はもう翁という気分で居たんだね』と馬場君も言っていた。(中略)兎に角、私の心の驚きは今日まで自分の胸に描いて来た芭蕉の心像を十年も二十年も若くした。云々。」

ぼくも藤村と同じく、芭蕉は70か80くらいまで生きたような気がしていた。
「おくのほそ道」は自分とほぼ同い年の男が書いた文ということになる。
なにを彼はそんなに老人ぶっていたのだろうと、
本棚の奥の方から昔読んだ「おくのほそ道」を引っ張りだして読み始めた。
やはりすごい完成度、成熟度だ。
さすが歴史に残るだけのことはある。
しかし芭蕉は特に老人ぶっていたわけではないようだ。
むしろエネルギッシュな人だったのだろう。
さらに、今読むとぼくと同い年の感性かも、
と思える箇所もうかがえる。

古典は案外、歳を取ってから読むとまた面白い。




ジャズとの距離

日曜日の松本でのライブに向けてひたすら練習。

ギターをもっと弾けるようになりたい。
一昨年に始まったギター熱は今も落ち着くどころか、
さらにヒートアップしているのではないか。

ジム・ホールの映像を見た。
15年くらい前、
ジムホールの音楽を聴いた時は、
好きな音楽だがちょっと眠くなるなあと思った。
しかし今聴くとその素晴らしい演奏、
端正な音色に惚れ惚れして興奮する。

ブルースのみならず、
ジャズギターの面白さも少し分かり始めてきたが、
こ以上ジャズを追ってゆくのは、
手に負えないものを深追いするような感じだ。
ジャズとは少し距離をおきたいところだ。
しかし楽器弾きにとって非常に魅力的な音楽だということは、
以前にも増して分かるようになってきた。



長い道のり

バンドでハンドマイク一本で歌っていたら、
弾き語りの歌い方をかなり忘れてたみたい。
弾き語りのリハをやってようやく思い出してきた。
リズムの取り方やら呼吸の仕方、声の出し方やらなにやら、
からだの使い方全般的にかなり違うように思う。
歌いながらギターをちゃんと弾くのって深すぎる。
いまも毎日発見がある。
思うように弾けるようになるのはずっと先。
果てしない長い道のり。

Lonnie Johnsonの初期音源を聞いて、
ドロップGチューニングを試してみる。
ひとりで弾き語るには便利なチューニング。
バッキングをしながらソロを弾くのがやりやすい。
それでもLonnieのような速いフレーズを弾くのは至難の業。
バッキングとソロを見事に同時に弾きこなして、
まるでふたりのギタリストが演奏しているように聞こえる。

しばらくジョー・パスを聴いていたせいか、
Lonnieのようにジャズの要素が入ったブルースがいい感じ。



24時間

今週末の弾き語りライブのリハーサル。
リゾネーターギター楽し。
先のツアーですっかりバンドのからだになり、
ひとり芸の勘が鈍ってたので、気合を入れて。
今度のライブではリゾーネーターと、フルアコのギターも弾こうかと。

たくさん弾きたいギターフレーズのイメージがあるが、
技術がまったく追いつかない。
ギターの練習をもっとしたい。
ギターを毎日24時間弾き続けてもまだ足りない気がする。



エレクトリックセクシーツアー終了!

エレクトリックセクシーツアーが終了!
今回のツアーでまた新しくバンドサウンドが生まれ変わった。
ほんとうに心躍る楽しいツアーだった。

一昨年くらいからひとりソウルや弾き語りなどをやりながら、
ギターを今までになく練習し始め、
それなりに腕を上げてきたし、
ギターを弾きたい気持ちがかなり高まっていたのだが、
敢えてここではそれを抑え、
このツアーでは初めてほとんどのギターを木暮晋也にまかせ、
ぼくはギターを弾かずにハンドマイクで歌うことを多くした。
最近木暮晋也がギターの腕を上げ、
ギタリストとして頼りがいのある演奏をしていたからだ。

それにエレクトリックセクシーのサウンドは意外にシンプルな構造をしていて、
ギターはどの曲もほぼ一本しか入っていない。
ライブでのバンドアンサンブルにおいて、
ぼくが敢えてギターを弾く必要はなかったのだ。

ぼくは歌とパフォーマンスに集中することにより、
オリジナル・ラブに新しいステージングが生まれた。
ここのところのジョギング効果もあってスタミナが付いて、
今までよりもさらにスポーティーなステージになった。

今回のツアーの最大のキモであるシーケンサーとの同期演奏は、
仕込み作業にかなり労力を使いヘトヘトになったがそのかいはあった。
やったことがなかったのでいったいどうなるかとやきもきしたが、
リハーサルの初日に予想以上に画期的なバンドサウンドが生まれ、
これはしめたものかもしれないと思った。
むしろ同期演奏の曲を予定よりも増やしたくらいだった。

今回のツアーは短いツアーだったが各会場大盛り上がりだった。
全会場がこれほどエキサイティングなダンスホールと化したツアーは、
初めてだったのではないだろうか。
メンバーも僕も毎回が最終公演のように全力を使い果たしてパーフォーマンスした。
合い言葉は「明日に余力を残さない」だった。
毎回みんなまさに100パーセントエネルギーを燃焼させてくれた。
お客さんもそれに応えて、どの会場も非常に盛り上がった。

毎回ライブが終わった後はメンバーみんなヘロヘロになっていた。
しかしその後の打ち上げでお酒が入ると何故か復活するのはやはりバンドマンだった。
この編成このサウンドで、もっといろんな場所で、
いろんなお客さんの前でライブをやりたかったな。

ツアーが終わってホッとしたら左の膝の微妙な痛みが治っていないのに気付いたので、
ジョギングはしばらくお休み。
ギターでも弾きながら気持ちをリセットして、
次のことを考え始めないと。






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