DIARY

曲の壁画

地下のアトリエに籠って曲作り。
昼間でも暗闇。
夜になってもまた暗闇。
古代人の壁画がある一日中暗い洞窟の奥のような、
一日中陽が昇らない冬の北極のような、
誰も近寄らない地下のアトリエで、
曲の痕跡を闇の壁にあぶり出す。

立ち上るくっきりしたいくつもの抽象的な音の輪郭が、
偶然に組合わさって結びつき、
魅力的な断章が浮かび上がるように、
ゆれる灯火が映るスクリーンに、
何度もいくつも音の塊を放り投げて、
巫女のように曲が降りてくるのを待っている。





取りこぼした種

スチャダラのイベント「それぞれの秋」のリハーサル。
やることは決まった。
盛り上げるぞ!
みなさんお楽しみに!

シンセサイザーとギターを弾く。
フィルターをいじると、
シンセが呼吸を始める。
楽器を弾きながら、
なにごとかを口ずさみ、
メロディーの種を楽器に集めようとする。

どこか上のほうからパラパラと落ちてきたメロディーの種を、
楽器は次から次へと取りこぼして、
アトリエの床は種の砕けたかけらでとっ散らかっちまった。
明日もまた楽器を弾こう。





道具と人間

楽器屋へ行き、新しい楽器、録音機材をチェック。
次の制作へ向けてアトリエを整備する。
アルバムを作ったあとにいつもすることだ。
曲作りを始める前の準備として、
曲作りしやすくなるよう、
道具を整えることから始める。
そんなことをしているうちに、
曲のイメージの輪郭がいつの間にかできていることだってある。
道具をいじるのは楽しい。
道具をいじる楽しさは、
人間の根源的な喜びのひとつかもしれないと、
時々思う。
曲作りは僕の場合、
誰かの音楽を聴くことよりも、
道具を整えることから始まることの方が、
多いくらいなんだ。




曲の記憶

『白熱』の取材を受けた。
取材を受けるといつも思うことなのだけれど、
アルバムをレコーディングしている時は、
そのアルバムについていっぱい語ることがあるなあと思っているのに、
いざインタビューを受けるときには、
なにを語りたかったのかすっかり忘れているんだ。
あれほどいろんなことを考えてレコーディングしていたのに、
アルバムが出来上がると自分でも驚くほど何を考えていたのか忘れてしまう。
あたかも人が母親の胎内にいた時の記憶を忘れてしまうように。
私が作った曲が出来上がって私の手から離れてゆくと、
曲が作られたときの私の記憶は消えて、
その曲自体が記憶を持ち始めるような気がするんだ。





白の時代

オリジナル・ラブのニューアルバム、
『白熱』が完成して工場に送られた。
このアルバムに、
もうなにも自分が手を加えることが無いことに、
しばらく違和感を覚える日が続きそうだ。

持久戦だった今回のアルバム制作はなにか、
あちこちに罠を仕掛けられた長い長い森の小道を、
徒歩で延々歩いているような感じだった。
とにかく出口に出れて良かった。

今回のアルバムは制作期間も長かったし、
自分でいろいろやってみたことも多かったから、
思い入れが入り過ぎてしまうのが欠点かもしれない。
聴く人々にとって、
私の思い入れや能書きなどは、
どうでもよいものでなければならない。
ポップスはそのものが聴く人にいい感じに聴こえるか否かだけ。
過去作もそういうふうに作ってきたつもり。

20周年にまた再出発するぞ、という願いを込めて、
そして、3月に起こった大震災で、
私たちが再出発する願いも込めて、
このアルバムタイトルに「白」という文字を使いたかった。
真っ白の、まだなにも描かれていないノートのイメージ。
これからいろんなあたらしい物語がいろんな人々の手によって描かれてゆくイメージ。
私たちは「白の時代」に突入したのだと仮定してみた。
その「白」は冷笑的なものではなく、
再始動する「熱」を帯びたものであってほしい。
それで「白」と「熱」という文字がくっついて『白熱』となった。

『白熱』
を作り終えていま私自身はまさに真っ白な気分。
でももうしばらくしたら再びはじめの一歩を踏み出す。

吉本隆明さんの「五十度の講演049(『ヨブ記』をめぐって)」を聴いていて、
キルケゴールの「反復」という考え方を知った。

じつは、
未来は過去を辿るように捉えられなければならないのであり、
過去は未来を想像するように捉えられなければならないのだ。
そのように我々は「反復」しているのだ。
うろ覚えだが、そんなようなことを言っていた。
キルケゴールという人は、
すごい発見をしたんだなと思った。

これからのことを考えなければならない今の時代に、
なにか現実味を帯びて引っかかってくる考えだと思ったんだわ。






ネバる時はネバる

高校野球で9回裏に逆転ホームランとか、
サッカーでロスタイムに逆転ゴールとかさ、
なにかとネバりにネバっていると、
時よりそういうようなことが、
あったり無かったりするよね。

今回のアルバム作りでは、
結構それがあったんだ。
そういう時は、
ひとりでガッツポーズなんかしたさ。

今回のアルバム
作りに限らず、
今までも曲作りでそういうことは結構あった。
ネバってネバって、やっぱぜんぜん駄目じゃん、
ということのほうがそりゃあ多かったけど。

でも、ロスタイムの逆転ゴールって、
ネバっているとまったく無くは無いんだよな。
ネバっていなければ100パーセント無いわけでさ。

あきらめが肝心な時と、
ネバりにネバらなきゃならない時と、
二つの時があるようだ。

3月にあの地震があって、
世の中のスタンダードが変化して、
私たちは、
否が応でもネバらなきゃならなくなっちゃった。
ネバっていれば、
逆転ゴールが、
まったく無いということも無いんだ。




二分の目

横尾忠則さんがツイッターで、
「絵にも腹八分目がある。
八分で止めることができる者はコツを知っている者だが、
満腹を求める者はまだ未熟だ」
とつぶやいていた。

曲作りやミックスやマスタリングや歌など、
いろんなことに当てはまる言葉だと思うのだけど、
八分で止めるには、
何度か十分、もしくは十二分までやらないと、
自分の力加減のどこいらあたりが八分なのか、
分からないんだよな。

オリジナル・ラブのニューアルバム『白熱』は、
自分一人で、レコーディング、
ミックス、マスタリングまでやるなど、
あまりやったことがないことが多かった。
だから自分の力加減の八分を探すために、
幾度かわざと、
十分、十二分くらいまでやらなければならなかった。
それがとくに大変だったこと。
たったひとつのOKテイクに達するまで、
いくつも回り道をしなければならなかった。

満腹を求める作品は、自分にしか通用しない作品。
腹八分の作品は、
人が、「この作品鑑賞してもいいかな」
と思う余地を残した作品。
作品を介して、
他者と自分との折り合いがつく地点が、
八分あたりなのではないか、
と最近思うんだ。

力一杯の作品だと、
人は近寄りがたくなる。
力一杯のところから、
少し力を抜いた作品には、
人の興味を惹く余地があるような気がする。

腹一杯は自分の作りたいことしか考えていないんだよな。
主観100パーセントでさ。
八分の残りの二分で、
常に自分の創作を見張り、
自己批判する。
つまり残りの二分は、
自分の作品を客観視する目なんだよなきっと。




アルバム制作大詰め!

アルバム制作がいよいよ大詰めのところまできた!

録音作業はすべて終わり、
微妙なエディットやミックスダウン、
そしてマスタリングを残すのみとなった。

しかしここで急な仕事がいくつか入ったので、
いったんアルバム制作を止めて、
そちらの仕事に取りかかる。

今回はたっぷり時間をかけて曲を書いて、
ほとんどすべて自分一人でレコーディングするという方法をとったので、
いままでに無く労力を費やした。
ひとりでレコーディングしたけれども、
そういうふうには聴こえない、
ポップでファンキーでキャンディーな感じに仕上がってきたぜ!

あ、それから仕事が立て込んでいる間にまたひとつ歳を取りました。
ツイッターなどにお祝いの言葉を下さった皆さま、ありがとうございました!
今年もガンガン音楽をやってゆきます。
よろしく!





ミックス一曲目

今日は一曲ミックスダウンを終えた。
感無量。いい感じだと思う。
あともう少しダビングが残っているが、
そろそろミックスダウンの作業に入ってゆく。
明日はコーラスやハンドクラップの録音のあと、
時間があればミックスをしてゆく。
しばらくこれから忙しいので、
日記はちょいちょいサボると思います。





へばり気味

昨日歌入れした曲のコーラスを録音。
そして、別の曲の様々な作業。
アルバムの全貌が少しずつ見え始めてきた。

ここのところずっと、
休み無く歌入れしたり作業したりが続いているので、
そろそろ身体の方がへばってきた。

身体がへばっているのに無理して歌えば、
へばった歌になってしまうかもしれない。
しかし頭の方はテンションが上がっていて、
歌入れしたくて仕方が無い。
ここはグッと押さえて、
明日は思いきって休みにしてしまおうかな。





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