DIARY

2008.12.03(水)

インフルエンザの予防接種をしてきた。今話題になっている新型インフル
エンザのものではないけれども。
吉本隆明さんの「身の丈で考える」とでもいうべき姿勢が好きだ。自分の
実感に基づいたところで考え、決してそこから離れないようにする。当てず
っぽうで考えるのではない。自分の実感に基づいたところの先のことは分か
らないとする。だから吉本さんの考えは、世界から得た知識や情報を比較し
たり編集したりしただけのものではない。考えと人生とが一致している。生
活と思想が、ずれていない。
「身の丈で考える」のは誰にでもできそうなことでありながら、なかなか
できるものではなく、とくに吉本さんのように徹底してはなかなかできない。
誰でも頭の中で、自分の身の丈以上(もしくは以下)のことを考えてしまい
がちなのだ。

 


2008.10.28(火)

吉本隆明さんの講演「言語芸術論その2」に行ってきた。そこで配ら
れた資料や吉本さんの話からメモを取ったことをもとに日記に記録して
みる。
吉本さんの考えでは、日本語圏に於ける詩の起源は、今の人間性の現
れ始めた頃である恐らく9世紀頃の、古事記と日本書紀を編集した本、
記紀歌謡集の中にある歌謡である。
磐余彦(イワレヒコ)と大久米命(オオクメノミコト)は、大和の高
佐士野(タカサシノ)を7人の娘が歩いて行くのを見ていた。大久米命
が磐余彦に「きみはあの娘達のうちの誰と寝たいか」と問うと磐余彦は、
「臈長けた一番前を歩いている女だ」と答え、大久米命は「了解した、
自分が交渉して来よう」と言って、その女、伊須毛依姫のところに行く
と、女が「あなたの目は古代の鳥のように裂けているがどうしてなので
しょうか」と問い、大久米命は「あなたを一生懸命見たいがために裂け
てしまったのだ」と答えた。この歌謡が日本の詩の起源である。ここで
重要なポイントは二つあり、この詩が「問答形式」であること。そして
「最初の天皇に称せられた神武神話と親密に結びついていること」であ
る。
奈良時代に入ると、万葉集に代表されるように、歌謡に比べ短く整っ
た短歌が出現する。万葉集の和歌の特徴である五七五・七七という構成
は、前半部五七五は主観性、後半部七七は客観性を持っていて、一人の
作者の作品にも関わらず「問答形式」の痕跡が残っている。万葉集の古
い頃に書かれた歌は「問答形式」が崩れ行く様子が分かる。この「問答
形式」は古今集の頃には「上下関係」に変化してゆく。
新古今和歌集の重要人物は藤原定家と西行法師で、藤原定家は日本の
名所旧跡の風景の歌を作る場合にも、実際にその場所に行かずに歌は作
れるのだという理論を持っていた。しかし吉本さんは定家よりも西行法
師を評価していて、なぜ西行法師がさらに凄いのかという部分に関して
は聞き取れないところもあり僕には分からなかった。
歌謡が「間延び」して「短く」なって万葉集の五七五・七七形式にな
り、古今集以後平安末期頃和歌の形式はさらに「間延び」して行く。日
本の詩は時代を経るごとに短くなるという特徴を持っていて、正徹(坊
さん、歌人)に至っては「上下(関係?)の区別」が「間延び」してほ
とんど一行の詩のようになってくる。
江戸時代に入り松尾芭蕉が「俳句」を始めた。俳句は五七五・七七の
短歌から一行詩五七五に短くなったけれども、主観性と客観性を保持し
ていて、これは芭蕉が日本の詩が問答形式から始まったことをよく理解
しており、意識的にその形を残したのである。この主観性と客観性、「
積極性」と「受け身」が歌の中に必ず立ち現れるのが芭蕉の俳句の特徴
であり、単に風景を記述しているのとは違うのであって、それがあるか
ら「詩」としての表現を成立させているのである。この「主観性と客観
性」の話は先日自分が日記に書いた「当事者と傍観者」ともなんとなく
カブっているような気がして興味深かった。
三木露風は最後の優れた象徴詩人であるけれども彼の作った童謡「赤
とんぼ」の中にあるフレーズ、「赤とんぼ とまっているよ 竿の先」
は、眼前の風景を言っているだけで「問答形式」がないので、俳句では
ない。俳句・短歌(和歌)との結びつきの弱さは、この頃の日本語近代
詩の課題であり、声調を優先するか、内容を優先するかという矛盾につ
きまとわれる。
萩原朔太郎は「三木露風を追放しろ」と言うほどまでに、近代化され
行く日本に日本的象徴はもはや比喩としては成り立たないとした。彼は
「月に吠える」で日本語詩の比喩の転換、転調を行った。「手の中の血
管に血が流れていることが表現できれば現代詩だ」と言い、彼は新しい
「象徴」的な表現を行った。その象徴は「性的な象徴」である。
吉岡実、吉増剛造らは、日本語圏特有の地域特性に根付いた象徴性を
超えようとし、世界に通ずるグローバルな詩を目指した。角川春樹の詩
にも見られるが、受け身の表現と主観的な表現の対比という日本の詩の
特徴をどこで破るかが、近代詩、現代詩のポイントである。吉岡実や吉
増剛造の優れた前衛的な試みの部分は、今現在の日本語圏の固有な課題
であるとともにヘーゲルの精神現象論に最初に認知された世界認知の地
域特性民俗学(日本語圏での柳田民俗学 遺伝子考古学)芸術言語論。
記号論理学などを巻き込んで課題を提供しつづけている。
そのあと岡井隆、辻井喬の詩に触れて説明しておられたが、そこで紹
介された岡井隆の詩は素晴らしいと思ったが、それらの吉本さんの説明
はすこし聞き取れないところもあり、僕にはよく分からなかった。
終わりに吉本さんと糸井さんが少しの間対談をされ、二人が「書き言
葉と話し言葉のどちらがより人に伝わるか」で反対の立場を取られてい
る様子なども面白かった。前回よりもコンパクトにまとめられていて分
かりやすい講演だった。


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