DIARY

作者不詳の流行歌

鶴見俊輔の「限界芸術論」を読んでいて、
柳田国男の民謡研究が紹介されていて面白い。

民謡は昭和初期に西条八十や野口雨情とかの流行歌の専門的作家が、
ビジネスとして作り始める以前は、
作者不詳の労働歌、作業歌が時代を超えて歌い継がれてきたものだったという。

20世紀は流行歌は作家やアーティストによって作られる時代だったが、
21世紀に入ってインターネットの時代になり、
これからはひょっとしたらふたたび、
「流行歌の作者が不詳」の時代がやってくる可能性も、
ゼロではなくなってきているのかとも思う。

ちなみに鶴見の本の中で紹介されている柳田の民謡研究によると、
労働歌の表現には、
恋愛感情をダブルミーニングできる曖昧さがあり、


「ある実際的活動、茶摘みとか、臼挽きだとか、木やり、
草刈り、田植えなどを進めに必要な相互連絡の言葉が、
作業の必要上最小限の意味を越えて、
少しばかりのゆとりを持つようになり、
労働の言葉に託しながら、
労働を快く進めるために遊びを混ぜる習慣が生じた。
こうして作業歌の意味の中に、
労働に対応する部分と、
遊びに対応する部分との二重の意味の構造ができてくる。
(略)
たとえば『源氏物語』に見られるような恋愛専門歌は上流階級のみにしか見られぬもので、
日本の恋愛歌の大部分は奈良朝・平安朝から今日に至るまで、
作業歌に託して歌われてきたと言う。
「「恋をする者は働く者であった。そうして健気に面白そうに、
よく働くことによって愛されても居たのである。」」
(限界芸術論)


ポップミュージックが「暮らし」と密着していた時代に、
すこしばかり憧憬を抱く。






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