DIARY

詩で会話

吉本隆明さんの「50度の講演。喩としての聖書-マルコ伝」を聴いた。
かなり面白かったんだな。

前半は思想書としての聖書について。
聖書が鋭く洞察している人間性についての話。
聖書に描かれている場面を幾つか挙げて、
聖書が書かれた時代から何千年と変わらない人間性について読み取って行く。
純文学小説を読んでいるように面白い。

後半は喩(ゆ)としての聖書。
言葉の面から理解すると、
聖書に書かれている数々の「奇跡」は、
「暗喩(メタファー)の一種」だと考えられると吉本さんは言う。
これを聴いてぼくは興奮した!

言葉は「喩」から始まった。
始め人間は、
虚喩という喩を言葉として使っていた時期があるはずで、
次に暗喩が生まれ、
その後新しく直喩が生まれた、
と吉本さんは言う。

「きみの目は細い」という直接的な言い方は、
実は最近のものなのだ。
直喩は「きみの目は象のように細い」という喩え方のことをいい、
暗喩は「きみの目は象だ」という喩え方のこと。つまりメタファー。
暗示的であり、詩の表現に使われる。

直喩よりも暗喩の方が古い、というのがポイント!
聖書には古代人が使っていた暗喩の痕跡が残っている。

虚喩について吉本さんは講演後の質疑応答であっさりと語っているが、
大変謎めいていて興味深かった。

古代人は暗喩、つまり詩のような表現を、
当たり前の言葉としていて使っていた。
言わば芸術で会話してコミュニケーションしていたということか。
センスがよく高級な暗喩は、古代人に相通ずる言葉になりうる。
芸術こそが人間の本来の言葉なのだということになる。
これはとてもワクワクする話だ。
またしても目から鱗が落ちた。




関連する記事

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM