DIARY

歌謡曲時代のディレクター

今週は歌って確認してという作業ばかり続いた。
ちょっと疲れたから少し時間をおこう。
やはり自分で作った歌を自分で判断するのは難しい。
かと言って歌は誰でもが判断しディレクション出来るものではない。

楽器や楽曲のアレンジのディレクションはできても、
歌のディレクションをきちんとできるディレクターはとても少なかった。
かつてなにかしらの楽器をやっていたというディレクターやプロデューサーは多いが、
リードボーカルをしていたという人はあまりいなかったりする。
きちんと歌のことを分かってディレクションできていたディレクターは、
ほんとに少なかった。
数少ない「この人は歌を分かっている人だな」と思えたディレクターは、
1980年代まで歌謡曲の制作をやっていた古いタイプのベテランディレクターだ。

歌のディレクションはとても神経を使う仕事で、
一言チンプンカンプンなことをディレクターが言うものなら、
歌い手はたちまちやる気をなくしてしまうこともあるのだ。
僕なんかは能天気でアホウでパワーばっかり有り余ってるような男だったから、
それでもめげたりはしなかったが、
歌手が若くて経験の浅い女の子だったりすると、
レコーディング続行不可能なんて事態も歌謡曲時代にはあったようだ。
今と違って機械的に歌を修正することも出来なかったしね。

僕がピチカートファイヴでデビューした1980年代後半は、
歌謡曲を制作するディレクターがまだ残っていて、
歌のディレクションはそういったディレクターに任せるのが確実だし楽だった。
歌謡曲時代のふるいタイプのディレクターは、
歌入れの日には頼りがいがあった。
誰が書いた歌詞でもそれなりに理解できる読解力があって、
ピッチやリズムのことばかりを言うのではなく、
この歌の物語はこうだから、ここの言葉はこう歌ったほうがいいとか、
この歌の主人公はこういう気持ちだからここはこれでいいとか、
はっきりしたディレクションをしてくれた。
歌の世界がディレクターの中で明確に出来上がっていたので
歌い手としてもどういうふうに歌えば良いのかが分かりやすかった。
録音されたテイクの選びも、
そういったビジョンを持った人なら安心して任せることができた。
そういうディレクターが現場にいた時代は、
歌い手はすごく楽だったよなあ。







 


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