DIARY

ネコよ。

先日、古い友人の家に遊びに行った。
その家ではネコを飼っていた。
これがそのネコである。

 

 

僕が「これこれ」と言ってネコの頭を撫でてあげると、
猫は、僕がようやく手が届く距離にとどまって撫でてもらっている。
けれども決して僕にぴったりと身を寄せようとはしない。
そしてプイとどこかへ行ってしまった。

 

ネコは僕のことが気に入らなかったのかなと思って、
友達としゃべっていると、
いつの間にか僕が座っているソファの背もたれの上にネコが寝転がってぼんやりしていた。
僕の背後から忍び寄って、

僕の後頭部からずっと話を聞いていたのだ。

なので顎の下をなでてやったら少し気持ち良さそうな顔をして、
プイとどこかへ行ってしまった。

 

 

僕が友達としゃべっていると、
いつのまにかネコは僕のすぐ足下に寝転がっている。
でもネコは決して僕と目を合わそうとしない。

 

僕がネコの顔を見ようとしてもネコは顔を背ける。
しかし僕がそっぽを向くと僕を見てゆっくり近づいてくる。

 

こういうネコらしいかわいらしさは、
子供のころ犬を飼っていた自分にとっては分かりづらいものだったが、
今はとてもよく分かる。

 

犬は、人間の顔をひたすらじっと見て表情を観察するが、
ネコは、まともに目を合わすと威嚇していると解釈するのだそうな。

 

動物と暮らすのはいいものだと最近思う。
僕はもう長いこと亀を飼っているが、
亀は僕が自宅に帰ってくると、
くるっと顔をこちらに向けて僕の目を見て様子を伺う。
その様子を見て、なんだか犬みたいだなよく思うんだ。

 

 

 

 


沈黙の祈り

弾き語りツアーのリハーサル。
だいぶ形になった。
明日はスタッフとともに全体リハーサルと打ち合わせ。
ギターの腕を上げなければ成立しない弾き語りスタイルを思いついてしまったので、
練習が大変だが面白くもある。
気がつけばノンストップで何時間も歌ってギターを弾き続けている。

今日(3月11日)がお祈りの日だということは知っている。
ツイッターなどで祈りのことばをツイートしなくても、
誰かに言葉を発する前に、
沈黙の中で祈る。
そういう人たちがいっぱいいたことだろう。

吉本隆明さんが沈黙は言葉の幹だと言っていたが、
ひとりひとりの沈黙の祈りは、
メディアに現れている祈りのことばよりも、
ずっとずっと大きいのだということ。
そういういことはいまなにかとてもよく分かる気がするんだ。



時間の短縮、スピード

今年もクリスマスが過ぎた。
去年のクリスマスから今年のクリスマスはとても早かった。
時間が早く流れ過ぎているように思う。

スマフォやネットを見ていると時間があっという間に過ぎるので、
来年は少しネットを眺める時間を減らそうかな。
ちょっと退屈な時間ができるとすぐにスマフォをいじる癖がついた。

時間の短縮、スピードを求められるのが、
当たり前の世の中になった。

来年は、
以前の生活のように、
退屈な時間は退屈を感じたまま、
そのまま自分を放置することを少しやってみるか。

ネットは嗜好性、依存性があるように思う。
たばこの本数を減らすみたいに、
ネットを見る時間を少し減らしてみたい気がしている。


睡魔とオレ

どこまでも追いかけてくる睡魔を払いのけ、
なんとか仕事をする。
この時期、
外が寒くて部屋は暖かいこの時期、
睡魔は継続的に、暴力的に、襲いかかってくる。
まるで鉛のように重たい睡魔が。

仕事にいかに「遊び」の成分を入れるか。
「遊び」は眠くならない。
「遊び」は逆に目が覚める。
睡魔を断つには、
仕事を遊び化すればいい気がする。
遊び化しても、
仕事であるのだが。



一息いれつつ

もう9月。
いろんな準備で忙しい一日。
夜が明けたと思ったら、
あっという間にまた夜になってしまう。
夜のジョギングから次の日の夜のジョギングまでの時間が短い。

やるべきことが山積みで忙しいように思えるのに、
こんなに早く時間が進むように感じるのは、
時間の流れに鈍感になっているのか。

それでも焦らずに、
コーヒーでも飲みつつ、
一つ一つじっくりこなしていきたいところ。





オリンピック

しかし今年のオリンピックは時間帯が良すぎる。
ずっと見てしまう。
仕事に支障をきたしている人が続出してやしないか?

一瞬の隙も見せられない緊迫した柔道の試合に見入った。
銀メダルを取った平岡選手は、
試合中に指の生爪を剥がしても、
全く痛い素振りを見せずにテープで巻いて試合を続行してるんだから、
オリンピックの試合ってそういうものすごい緊張感があるのだろう。

極度に緊張した場面でギリギリの実力を発揮している人間の姿っていうのは、
やっぱり魅力的だな。





リハ、台風

"Overblow Tour"リハーサル一日目。
久しぶりのバンド演奏はキーボードの中山さんも加わってゴキゲン!
目一杯練習してスタジオを出ると台風が関東を通り過ぎる最中だった。
横殴りのすごい雨が降っていて、
駐車場で車に乗り込む一瞬のうちにずぶ濡れになった。
深夜に雨があがって強風がまだ止まぬの中1.6キロのジョギング。
植木鉢や壊れた傘や折れた木の枝などがばらまかれた夜の道を、
轟く風に乗って走った。




ロックの日に

ジョギングの距離を少し延ばし始めたので、
身体がまだ慣れてなくて少し眠たい一週間だった。
次第に雨が多くなってきて、
梅雨がもう間近だということが分かる。
ジョギングしたいけれど走れない日もあって、
ペースが乱れがちになる時期だ。

音楽好き、ロック好きは、
「かっこいい」が大好きだ。
そして大声も大好き。
威風堂々も大好き。
盛り上がることが大好き。
カウンターも大好きだ。
僕もロック好きだからそれはよく分かる。
「かっこいい」に敏感になれるから、
音楽を自分なりに好きになって聴けるのだ。

でもすべての「かっこよさげな意見、言説、正義、スローガン」(それはしばしば大きな声で語られる)が、
必ずしもすべて正しいとは限らない。
むしろ大きな声で語られる「かっこよさげな意見、言説、正義、スローガン」には、
用心しなければならない場合が多いのだ。

「カウンター」と言われることもあるロックは、
本当にそれが正しいかどうかを常に立ち止まって細かく正確に省みられることもなく、
お上に対するカウンター意見はみんなすべて正しい、
というような方向に流れて盛り上がっていきがちだ。
1970年代(ジョン・レノンの頃)からずっとそういう性質をロックは持っていて、
僕はそれに多少の違和感と疑問を持ち続けてきた。
僕が27年前に通っていた大学が当時そういう(少し左翼的な)ムードが残っていて、
そういった活動をしている友達も当時いたりして、
身近なこととしてそういうことについて考えさせられたこともあった。

震災後一年経って、
そういう雰囲気が直後よりも強くなっていることを感じる。

大きな声で語られる「かっこよさげな意見、言説、正義」に、
なんの疑問も感じずに素直に惹かれてゆくのは、
少なくとも大学生で卒業すべきことのように思う。
大学生向けの音楽を聴き続ける(やり続ける)のなら別かもしれないが。

今を生きる大人たちは、
今こそ冷静になって我を振り返り、
いろんな意見に耳を傾け客観的に考えるべきことがあるように思える。




アトリエにて

曲作り。
いま作っている曲は、
すこし冒険しようとして、
かなり大胆なところから始めていったが、
今日になって袋小路に入った気がした。
ひょっとしたら始めからやり直すべきかもしれない。
曲を作る過程の中で、
こういう段階はしょっちゅう訪れる。
こんなときのアトリエの空気は重々しい。
頭の回転が止まったので今日は諦めてハーモニカを吹いた。
右と左のタングブロックとパッカリングを混ぜて吹く練習。
それぞれ音色が違って表現も変わって楽しい。

仕事中に旧友から思わぬ連絡があった。
突然連絡をくれるのもなんだか彼らしいのかもしれない。
朋あり遠方より来る、また楽しからずや。
じゃないけれど、
彼の声は元気そうで、
嬉しくなった。





祈りの花火



スコップ団によって企画された、
被災された方々への鎮魂の花火「天国にぶっ放せ」に行ってきた。
仙台の街には雨が降り、
会場である泉が岳には雪が降っていた。

会場に着くとお坊さんがお経を読み上げていた。
どこか厳粛なムードが流れていた。
遺族の方々がたくさん来ていて、
スコップ団の人たちは忙しく働いていた。
僕はうっかりスニーカーで来てしまい、
団長に「甘いね!」と突っ込まれた。
雪と泥のぬかるみになっていた現地で何もできず、
お焼香をあげる場所でお焼香をあげて祈ってから、
車の中で待機した。

花火の打ち上げ時刻になって、
いったん雪が上がった。

大きな最初の一発目が上がって余韻が山に響き渡ったあと、
次々と花火が打ち上げられた。

どでかくて静かな花火だった。
2万発打上るあいだ、
花火が魂のようにキラキラいろんな色に煌めいているあいだ、
遺族の方々はじめ、
そこにいたみなさんは静かに見守っていた。
祈っていたのかもしれない。
ぼくも被災された方々に祈った。
去年のあの日のことを思い、
あの日から今の時間の流れを思った。
去年の今頃は気持ちが張りつめていたが、
一年経ったいま少し落ち着いたところで振り返ると、
なにか悲しみがよりくっきりと感じられる。
東京に住む僕がそうなのだから、
遺族の方々はなおさらだろう。
スコップ団の中にも被災された方がいると聞いた。

震災から一年経って我々は以前よりも濃密になった気がする。
しかしこの濃密さは、
震災以前にはなかったある種の豊かさなのかもしれないと思えるのだ。

あらためて東北大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、
被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。





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