DIARY

スコップ団に参加して。

ラストスコップに参加した。
僕は去年の11月からスコップ団に月一のペースで参加させてもらった。

スコップ団にほんのすこし参加させてもらって、
いつの間にか考えさせられたことが多かった。

スコップ団に参加してまず驚いたのは、
現場は安全な場所とは言えないところだったのにもかかわらず、
怪我人がひとりも出なかったことだ。

彼らはその日に初めて会う見ず知らずの人どうしで、
スコップする前に具体的な打ち合わせをすることもないのに、
誰もが現場で様々な作業を休むことなくやった。
重機を運転できる者や工具の扱いに長けた者などがいた。
その時々に起こる問題に誰かがアイデアを出して、
危険を回避しながら作業して、
自然に協力し合っててきぱきと作業していた。
彼らが現場で作業する姿はどこか男らしくて、
過去のどんなロックスターやパンクロッカーよりも一億倍かっこ良かった。

でもそのかっこ良さは、
人にアピールするものではない。
自分たちの胸にしまって鍵をかけておくものだ。
なぜなら被災された方々がいるのだから。
亡くなった方々がいるのだから。
それが被災された方々を案じることだ。
現場で作業する者の勤めだ。
現場ではスコップ団が主役ではなく、
被災された方々があくまでもメインだ。
その人たちのことを考えざるを得ない現場だった。

スコップ団のつなぎが黒子のように暗い色だったのは、
きっとそういうことなのだ。
僕のように赤いつなぎはふさわしくなかったんだ。
だから僕のつなぎは現場で笑われ、面白がられた。
それは当然のことだった。

被災地を訪れ、
自然の想像を絶する力を目の当たりにして、
家に溜まった泥をスコップで救いながら、
こういった行為は人間が大昔から行ってきたことで、
そしてそれを行ったことによっていろいろ考えたであろうこと、
そういうなにか脈々と流れている、
人間の人間らしさのようなものに触れているのではないか、
と思えるときがあった。

むかしから人間は想像を絶するいろんな自然災害に遭い、
祈りながらその後片付けをした人たちがきっといたのだ。
そういう名もない大人達の行為がまわりまわって、
そのおかげで今の我々が生きているのではないか。

歴史に名を残した織田信長や徳川家康や坂本龍馬よりも、
どこぞの残酷な国王よりも、
どこぞの見栄えや口先だけのロックスターやパンクロッカーよりも、
どこぞの中途半端な学者よりも、
そういった名もないふつうの大人たちのほうが、
一億倍もかっこいいじゃないかと思えた。

人は自然の力の前ではひとたまりもない、
弱い生きものだ。
むかしの人たちは今の我々よりも、
日常的に痛烈にそういったことを目の当たりにしていただろう。
そしてそんな時人々はお墓を掃除したり、
お参りして祈りを捧げてお供えに花を手向けたりしたのではないか。
むかしからふつうの大人たちはそういうふうにしてきたのではないか。

手の空いてる大人たちが弱い者を助けて、
亡くなった者たちに祈りを捧げ花を手向けて、
怪我した人をいたわって、
被災された地域を後片付けして、
しかもそういうことを人に自慢したり押し付けたりするわけでもなく、
見返りを要求することもなく、
ただ思わずいつの間にかそういうことをしてしまっていて、
舞台役者をサポートする黒子のようにステージの影となって仕事をし、
風のように去った、
そういう者たちがきっといたのではないか。

スコップ団もそんな(かっこいい)ふつうの大人たちだった。
そしてスコップ団も風のように去る。

善行は難しい。
善行は隠さなければならない。
善行を積んだからといって救われるわけでもない。
見返りを望んではならない。
でもいつの間にか見返りを期待している自分がいたりする。
見返りが果たされなければ逆にどす黒い恨みを持つ。
善行は僕たちが神様ではなく人間であるかぎり、
そういう危うい契機を孕んでいる。
善意は悪意よりたちが悪いことだってあるのだ。
自分の善行に溺れまいと、
必死で考えなければならない。

僕にこういった機会を与えてくれた、
団長はじめスコップ団のみなさんに感謝します。
彼らは優しかった。
ありがとう。



(山元町のイチゴ。おいしかった!)




重い砂、軽い砂。



土曜日に山元町へ行きスコップ団に参加してきた。
この週がふつうの家をスコップするのが最後ということだった。
来週は小学校をスコップし、
最後のスコップは浜辺の方をやるということだ。

この日は風が強く、
砂が目や耳に入ってきて痛かった。
先日ひいた風邪のせいでジョギングをしばらく止めていたので、
体がなまっていて、
スコップの重労働が身体にこたえた。



2軒の家がピカピカになって午後2時ごろには終わった。
マスクを取ったら、
マスクの外より中の方が泥だらけになっていた。

砂は身体のいたるところに入ってきて、
鼻の穴や口の中がしょっぱかった。
帰りの新幹線でウトウトしたら耳から砂がこぼれた。

しかしこの砂は乾いていて軽かった。
僕が最初にスコップ団に参加したときは、
砂は湿っていて黒く重かったが、
最近のスコップでは、
砂はすっかり乾燥し、
ぼろぼろと砕けやすくて軽く、
白くさらさらしている。

スコップが終わりに近づいて、
砂が軽くなってゆく。




山元町と団長。








スコップしに山元町へ。
今回は嬉しいことに団長がダンプで迎えに来てくれた。
スターバックスコーヒーを買ってダンプに乗ったが、
団長のワイルドな運転もあって、
めちゃくちゃ揺れて、
コーヒーが溢れまくって、
ダッシュボードやぼくの赤いツナギにこぼれまくった。

ダンプの中で、
震災直後の壮絶な体験を団長から聞いた。
それは想像を絶する、
地獄の光景だった。

少し不器用な団長の話が、
中途半端な口先だけの文化人よりも、
よっぽど深さを湛えているようにぼくに思えるのは、
彼が震災を目の当たりにして感じた「痛み」から、
半ば反射的に行動し、
そこで体験してすこしづつ作られていった、
彼自身の考えが話されているように思えるから。

彼は「復興」というスローガンよりも、
「命」というテーマ、
「生と死」というテーマでいまも行動しているように思える。
彼が震災によって体験した恐るべき「生と死」は、
同時に自分にも訪れる可能性を孕んだ、
「誰かのもの」ではなく、
「自分のもの」である「生と死」なのだろう。

彼が震災で亡くなった方々への「お供え」として、
でっかい花火を打ち上げたいと考えるのは、
とても納得がいく。
「天国にぶっ放せ!」は、
震災で亡くなった方々と、
やがて死んでゆくのだがまだ生きている私たちとをつなぐ、
「生と死」の、
「命」のセレモニーなのではないか。

昔から人は「お供え」をしてきたようだ。
亡くなった方々へ、
それと同時にやがて死んでゆくであろう自分へ、
そして暗に、
誰かが私たちの死後に「お供え」をしてくれるかもしれない「可能性」をも願って、
「お供え」をしてきたようだ。

この巨大な震災のなかで、
このようにある意味真っ当なあたりまえの行動がとれる団長は、
あったかい東北魂を持ったかっこええ男だ。







再び山元町へ。そしてハーモニカ。

スコップ団に参加するために先週の土曜日の早朝、
土砂降りの雨の中レンタカーで山元町へ向かった。
高速道路から茫漠とした山元町近くを眺めたとき、
初めてここに来たときと同じようにまたふたたび、
ほんの一瞬だけ胸に氷を押し付けられたような恐ろしさを感じた。



コンビニで弁当を買っていると「田島さん」と声をかけてくる人。
団長だった。
「かなり降ってますね、今日はどうする?」と訊くと、
「今日は中止っすね。怪我されたり風邪ひかれたりされたら困りますし。
すいません。遠くからいらっしゃったのに。」と団長。
「いえいえ。確かにこの雨じゃ怪我する人が出るかもね。」
「とにかく集合場所へ行きましょう。みんなに中止を言わなきゃならないっす。」
などと話して集合場所の山下駅へ。
すでにたくさんのスコップ団員たちが集まっていた。
団長から今日は中止だと聞かされると、
少し残念そうだったがみな特に不平も言わず、
山下駅の櫓の下、
ストーブを囲んでなにやら楽しげなお話タイムになって、
豪雨の中、誰もなかなかその場を去ろうとしなかった。





お昼にひとり仙台の町をぶらっと歩いた。
街は豪雨だったが店には人だかりができていた。
次の日の天気予報は晴れだったので、
急遽一泊してスコップに参加しようと思い、
ホテルを7、8軒あたったがすべて満室。
あきらめて帰りの新幹線に乗った。
先日のツアーの時も思ったが、
仙台の街は人がいっぱいてとても活気がある。
国分町は盛り上がっている。
ホテルの予約もなかなかとれないようである。
今日本で一番活気ある街かもしれない。





東京に着いて楽器屋に寄り、
予約購入していたクロマチックハーモニカを取りに行った。
ひとりソウルツアーで始まった、
ブルースハーモニカ熱が高じて、
ついにクロマチックまで手を出した。
一年でスティービー・ワンダーのように吹けるようになるわけでもないのに、
すっかりその気になっているおれ。
ハーモニカの音色の心地よさを感じられるだけでもいいのだ。
知らなかった楽器に興味を持ち、その楽器を知ってゆくことで、
それまで聞いてきた音楽が違って聞こえてくることがある。
そういうふうにしていれば、
音楽に何十年接していても飽きない。






新潟、仙台、スコップ!

新潟、仙台でのひとりソウルショウが終わった!
おかげさまで盛り上がりましたー!
「ひとりソウルショウ」がどんどん体に馴染んできてる。
ひとりのイメージから始まったショウが、
ライブでお客さんひとりひとりのソウルパワーと繋がって、
いろんなハプニングやらなにやらが加わって、
どんどんオモロさを拡大していってる。
ライブをやればやるほどに楽しくなってゆく、
「ひとりソウルショウ」であります。
新潟、仙台のライブに来てくれた皆さん、
本当にどうもありがとう!

仙台ライブの次の日、
以前から参加してみたいと思っていたスコップ団に、
参加した!
現場の山元町に初めて車で入ったとき、
震災から8ヶ月が経って、
すでにだいぶ片付けられた状態だったけれど、
流された家々の跡地が広大に広がっている状態を目前にして、
背筋がゾッとするような恐ろしさを覚えた。
被災地のことはいろいろなメディアで見聞きしていたけど、
現地の被害の大きさや、
破壊された町の跡地の様子を、
実際に自分の五感で感じとるのは、
やっぱりリアリティが全く違う。

この日は2軒の家の片付けをした。
やるべきことがたくさんあり過ぎて、
お昼ご飯の時間以外休む間もなく作業した。
スコップ団参加者として100人近く集まった人達は、
全員てきぱきと作業して、
みんなすごい働き者でかっこえかった!
家財道具を外に仕分けして出し、
スコップやトンボで泥や砂を掻き出して、
一軒目は瞬く間にきれいになった。
二軒目は二階まで浸水した海岸近くの家で、
かなり荒れた状態だった。
家財道具を出したあと、
持ち主の方の、
家のどこかに泥に埋まっている大事な指輪を探さなければならなくて、
積もった泥の中を探りつつ泥を掻き出した。
一階の各部屋には80センチくらいの泥が積もり、
そこに床があった事が想像すらできないような驚くべき状況だった。
スコップしてついに床が現れたときはなんだか嬉しかった。
皆さんのすごいスコップさばきで家はみるみる片付いていった。
好運にも指輪は見つかって、
持ち主のおばあちゃんのところに戻り、
映画みたいな感動的なシーンがあったよ。
昼ご飯タイムに少しお話した団長はなかなか味のありそうな人で、
この人のまわりには人がたくさん集まってきそうな感じがしたな。

作業は思った以上に重労働で、
普段ジョギングしている自分でもかなりスタミナを使い果たして、
へばった参った。
けれどもなにか他では得難い体験をしたと思う。
また行ってみたいという気持ちがいま胸につよくある。
この日の様子はほぼ日の「ひとりソウルツアーの旅」でレポートされました。
ご覧下さい。


「ひとりソウルツアー」は、
予想外のいろんなあたらしい体験をさせてくれて、
本当にありがたい。




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