DIARY

神様の真似

ときどき自分に問うことは、
神様の真似をしていないか、
ということかな。

 

目的、理想を完璧に達成したい。
果てしなく強い人間になりたい。
神様のようになりたい。

 

僕は世界的なアスリートだったわけじゃないから、
分からないけど、
彼らはそういうことをやり遂げた人たちなのかな。
でも彼らもプロだからきっと、
不可能なことと可能なことを、
よく見極めていたんじゃないかな。


神様の真似をすることは、
自分を見失うことに似ているんじゃないかな。

 

もうだいぶ昔に読んだ本だけど、
シモーヌ・ヴェイユという人は、
神様のように振る舞うことによる苦痛と、
その危険性を、
「真空」という言葉で表現してたと思う。

 

神様の真似をしようとして、
心が「真空状態」になって、
その苦痛に耐えられなくなって、
心の真空の部分にドス黒い何かが入り込んでくると。

 

自分を超えてゆく超人になろうとするのはいいけど、

同時に、神様の真似をしてはいけないということ。

 

人間はあくまでも人間。
だから他にすること、
やれること、

やるべきことが、
きっとあるはずなんだよな。

 

でもそういうことはすぐに忘れてしまう。
いつのまにか神様の真似をしようとしてたりする。

 

 

 

 


単調と多様

人生は同じリズムでずっと続くこともあれば、
急に調子を変えて一気に変化を迫ってくることもある。
できれば均等にいろんなことが起こってくれればいいのだが、
決まってそうではないのだから不思議だ。
連鎖反応のように一度にいろいろなことが起こるのだ。
今年はなにかそういう年であるのかもしれない。

目まぐるしくいろんなことが起こって、
若い頃の僕なら少し面食らったろう。
しかし経験というのはたまに役に立つ。
慎重であるべきときと、
大胆であるべきとき。
その案配、加減が以前よりも少し分かってきているかもしれない。

しかし経験はときに判断を誤らせる。
それでも何かをしなければならない。

失敗と成功は同時にやってくる。
そういう多様な時があるのだ。

何もしなければ失敗も成功もやってこない。
単調が続くだけだ。





 

知識と経験

知識が増えるほど、
「ほんとう」から離れてゆくことがあるように思う。

いろんなことに当てはまると思うが、
例えば、
音楽の知識が増えるほど、
知識で曲を作ろうとして、
曲に身体が入りにくくなる、
ということがある気がする。

じゃあ知識なんてないほうがいいのか?
というと、
そうではないように思う。
「ほんとう」から離れてゆくくらいの浅く甘い知識では駄目なのではないか。

ほんの少しでも知識が頭に入ってきたら、
もっともっともっと深く広く知識を得て、
痛かったり恥ずかしかったりする思いをしながら、
地中の闇の中から掘り当てるように「ほんとう」を探すしか、
やり方はないのではないか。

「経験」も「知識」と似たところがあるような気がする。
経験はいろんないいことを僕らにもたらしてくれるけれど、
反対に、知識と同じように、
経験したことによって、
「ほんとう」から離れてゆくことだってあるように思う。




いくつかのテーマ

とあるミックダウン終了。
すごくいい感じ。
これもまた自分のキャリアの中で誇れるものになりそう。
ライブと制作が立て込んで睡魔に襲われるが、
まだまだやりきってはいない気がする。
まだなにかやれる余裕が自分にはあるような気がする。
やれることをどれくらいやりきれるかどうかが、
ここ何年かの、
ぼくのテーマの一つだったんだと、
今日ふと思ったんだ。




郡山へ。

郡山に行ってきた。
郡山の街は去年よりもすこし活気があるような気がした。
震災前より活気づいているようにさえ感じた。
レッドカーテンのドラマー秋山さん宅に寄った後、
二人でブラックラーメン「ますや」(安高前)へ。
醤油味のおいしいラーメン。

昔の友人宅を訪ね、
昭和一桁生まれのランナーにかつてのマラソンの話を聞いた。
当時はもちろん今のようなマラソンシューズもなく、
道は舗装されてない凸凹の砂利道で、
消火用のホースを切り取り白足袋の足の裏に縫いつけ、
2、30キロ走っていたらしい。
山の中をずっと一人走るのが心細くて、
木の上にスズメを見かけると嬉しかったんだってさ。

僕がよく出演していたライブハウスのママは相変わらず。
僕が高校生だった時から全く変わっていない、
どこか温かい訛った話し振り。
この日はヒップホップのイベントらしきものをやっていて、
黒人のようなファッションの若い男女がたくさんうろついていた。
今は郡山にもこんな奴らがいっぱいいるんだ。

郡山に最近はしょっちゅう行きたくなっている。
震災の後、以前よりも郡山がより愛おしい街になった。

東京に住むことが重要ということでもなくなってきているような気がする。
これからはなにもかも東京が中心というわけではなくなるかもしれない。
若い人たちは東京よりも地方へ就職を希望する人が多くなってきていると風に訊いた。
地方都市がどんどん力をつけてくるような気がする。

帰りの車の中では、
頭の中で過去と現在がクロースオーバーして、
秋山さんが作ってくれたドライブミュージックCDのせいもあって、
懐かしさと心地よさとが入り交じったような、
なんとも言えないいい気分になっていた。



ウサギとカメ

歳を取ると時間が過ぎるのが早く感じるようになる。
ということは自分の行動が若い頃よりゆっくりになってきているのだろう。

ジョギングしながらいろいろ走り方を試していて、
最近は、
大きな歩幅で踏ん張って地面を一気に蹴って走る走り方よりも、
小さな歩幅で足の動きを早く軽快に動かして走る走り方の方が、
疲れず、ペースも乱れず、早い時間で走れている。

「ウサギとカメ」の話みたいに、
人生も一気に長い距離を飛び越そうとせずに、
短い距離を少しずつ継続して進むを方が、
結局目的地に早く息を切らすこともなく着くんじゃないか。
こんな年になって今さらながら、
そんなごく当たり前のことを、
今夜走りながらふと思ったのだった。





反復、練習

ギターの奏法やらシンセの使い方やらライブのことや歌など、
練習したいことが山ほどある。
練習したいことは、
30代までよりも今の方が多い。
明らかに時間が足りないから、
なにを練習するかを選ばなきゃならない。

ジョギングをいま毎日欠かさず続けているのは、
反復し練習したいからだ。

「単調」とか「ふつう」に向かってゆくこと、
と言ったらいいのか。

反復し練習することが実際なのであり、
勝った負けたとか、
成功した失敗したとか、
たまに「奇跡的」などと言われる、
「一瞬の特別な結果」は、
反復し練習することの「オマケ」であるような、
反復し練習することの「影」であるような
なにかそんな気がするときがあるんだ。





クロールの反復運動

ギターを弾き始める。
アルバムを作り終え、
からだが息継ぎするように、
私が空白になっている。

息継ぎを滑らかに終えるように、
ギターをふたたび弾き始める。

クロールの反復運動。
青い水を掻き、
足で叩いて進む。
顔は息継ぎを終え、
また水に潜る。
未来は過去で、
過去は未来だ。
ちいさな時間のプールを反復運動で泳ぐ。

瞬間の芸術も、
反復の永劫も、
共に偉大だ。






ドラゴン

ひとりソウルショウの準備が本格的に始まったのと、
諸々の録音作業もいろいろやらねばならんし、
他にもいろいろ決めなければならないことも多くて、
じわじわとカオスに近づいていってるぜ。ふっふっふ。
ここしばらくは久々にアトリエに泊まり込みもありそうだなこりゃ。
「ひとりソウルショウ」は、
「ひとりなんだけどソウルショウ」っていうテーマで進んでいっている。
ちょっと変わったライブになるかもしれません。
こういうやり方のライブは初めてだから燃えるぜアアアチャーーーッッ!!
「燃えよドラゴン」が俺の頭の中で鳴りだしたワチャーーーッッ!!
今年は20周年にして新たな冒険の年にしていきたいね。





破壊者

素晴らしい本、素晴らしい言葉は、
覚えようとしなくても血の中に残る。
そう言ってたのはニーチェだったっけか、岡本太郎だったっけか。
それは本当にそうだなあと思う。
血の中に残るっていうのは、
自分が行動し生きてゆく上で本当に影響を受けたってことだ。
忘れているように思えても、
思い出せそうとすればすぐに思い出せる。
頭で思い出そうとしなくても、
身体の感覚が覚えている。

その本が若いときに読んだ本だからとか、
歳を取ってから読んだ本だからとかは、
関係がない。
その言葉はぼくにとって懐かしくなることはない。
その言葉はむしろぼくにいつも新しいテーマを与えるから新鮮だ。

「誤解の満艦飾になれ」と岡本太郎は言った。
それはコミュニケーションすることへの挑戦であり、
大衆への挑戦であり、
メディアへの挑戦であり、
常識への挑戦だ。
ツイッターが登場したいま、
また違った問いを投げかける言葉になった気がする。

人の目を気にし過ぎるなんてつまらない。
キヨシロさんもそう歌ってた。
人の目を気にしないと、
ときには自分がものすごくダサくなってしまうかもしれない。
心が傷ついてヒリヒリ痛むかもしれない。
でもそれがいいのだ。
人の目を気にして得た格好良さなんてしょぼいじゃないか。
誤解の満艦飾になって、
人間の中に閉じ込められていた自然を解放する。
独創性や個性はそこから始まる。
教育なんかで得られるものであるはずがない。

誤解の満艦飾になるということは、
破壊者になることなんだ。
破壊者になるということは、
なにか作る人になるということなんだ。




 


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