DIARY

自分の時間と他人の時間

歌詞は書き出しが一番大変だ。
白紙のノートと延々にらめっこした日だった。
まったく時間の無駄かもしれない沈黙の日だが、
こういう日がないと一行目は浮かんでこないのだと、
一行目が浮かんできたときにいつも思うのだ。

端から見れば気楽な時間のように見えるだろうが気楽ではない。
重い荷物を背中で支えながら過ごしているような感じ。
白紙の空間が透明な重い空気に満たされている感じ。
僕だけでなく同業者は皆この時間を過ごしているのだ。

しかしタイムラインを見ていると、
せっかくの自分の白紙の時間がたくさんの他人の時間で埋め尽くされてしまう。

人間の器官の延長のようになったスマートフォンと、
SNSなどが一般的になった今は、
日常生活にものすごくいっぱい他人の時間が流れ込んできて、
自分の時間はほとんど見つけられないまでになってきているように思う。
自分の時間が他人の時間でぎゅうぎゅうに埋め尽くされているような気がする。



暇を潰さない

道ゆく人、駅のホームにたたずむ人、皆がケータイを眺めている。
そしてぼくも、どうも最近は少しでも時間があるとすぐに、
iPhoneを手に取ってツイッターなんぞ眺めたりしてしまう。

バス停でバスを待っているとき、
バスが来るまで10分くらいあるとなると、
iPhoneを使っていなかったころは、
退屈でしょうがなくてまいったなとか思っていたのだが、
最近はツイッターなどを眺めているとすぐに時間が経つので、
始めは退屈する時間がなくなって良かったと思っていた。
しかし、ここのところ一年が過ぎるのがものすごく早く感じるのは、
ケータイを見たりネットを見たりを、
しょっちゅうするようになったからではないかと思える。

それはひょっとしたら、
「自分の時間」が、他の誰かの時間に奪われて、
減ったきているということなのか。
そもそも「自分の時間」ってなんなのか。
そんなもん、あるのだろうか。

例えば、
自分の沈黙を保つ時間が本当の自分の時間なのかもしれない。
まったくなにもしない時間を作って、なにもせずに、
ただダラダラ過ごす時間。
学生時代は暇だったので望んでいなくてもそういう時間があった。
そんなときは曲のイメージがよくわき起こったりした。

「思考停止」という言葉は、
良くない言い方として世間で使われることが多いが、
本当に思考を停止するのもまた難しくて、
なかなかできなかったりする。
暇を潰さないで居ることって難しい。
ケータイを見なくても、本を読まなくても、
人は時間を持て余すと、
端からはぼーっとしているように見えながら、
なにかしら頭の中で考えてたり、思い出してたり、
想像してたりする。

でも例えば、風が心地よく感じるなあ、とか、
あの電信柱の向こうの空がきれいだなあとか、
そういう感想が生まれるきっかけの瞬間は、
本当になにも考えていない瞬間であるような感じがするのだ。

ぼくは寺で座禅を組んだことがないからよく知らないのだけれど、
座禅を組んで邪念を払いのけ、
なにも考えないようにする訓練をするっていうのは、
まさに自分の沈黙の時間を作ることで、
それこそが自分の本当の時間を作ることなのかもしれないんだよなあ。






タイムライン

ツイッターについてこういう使い方が正しいとか、
ここが新しいとか言っている人の話を聞いて、
なるほどと思うところもあったのだけど、
しばらくして、
やっぱり別にどう使ってもいいじゃないかと思えてきた。
自分の使い方が前時代的であろうが新しかろうが、
自分で楽しめるように使わしてもらう。

ぼくのつぶやきは自分に向けられたものの時もあるし、
だれかと話するためのものの時もある。
つぶやきが自分に向けられたものの時は、
ちょっとカッコをつけたことを言っているかもしれない。
そういう時はカッコつけやがってだとか
なに言ってんだかとか思ってもらっていいし、
スルーしてもらってもいい。
ぼくも人のつぶやきを見てそうさせてもらう。
タイムラインにいろんな人のものの見方が流れてゆくのが面白い。
だからぼくもつぶやくことがなんか面白い感じだなとか、
なんかつぶやきたいんだよな、
というときに気兼ねなしにつぶやいておきたい。
いろいろ偉い人達のツイッターのお話を聞いて、
身構えてしまってつぶやきづらくなる、
というのはなんかつまんないね。

オリジナル・ラヴのベストアルバム「ボラーレ!」の発売が徐々に迫ってきましたぜー!
5月19日(水)リリースになります!
トレイラーも出来上がってきました。
よろしくお願いしますねー!

http://www.ponycanyon.co.jp/flash/2010/w0001/PCCA_03/PCCA_03164_0101.html





要約できない言葉

ネットにつながりにくいところから帰ってきた。
久しぶりの日記だから、
今日はストレッチをするように、
ウォームアップするように書くかな。

iPhoneとツイッターのある生活が始まって一ヶ月とちょっと経った。
しょっちゅうiPhoneを手に取ってツイッターをチェックするようになった。
携帯を使ってる頃は必要なときしか使わなかったのに。

iPhoneという注射針が血管に食い込み、
ネットにいつもつながっている。
iPhoneが端末なのではなくて、
自分自身が端末なのではないか?
昔そんな映画を観たことがあるような気がする。

DVDデッキの早回しボタンを押しているように、
情報がタイムラインを流れてゆく。

早回しで観てもだいたい内容が掴める映画もあるけれど、
早回しじゃ観たことにならない映画がある。

春の到来とか、喜びとか、いい歌とか、恋愛とか、痛みとか、命とか、
早回しで感じたり考えたりすることができないなにかがある。
要約できない言葉がある。






ツイッターは情報コンプレッサーなのだろうか。

ツイッターってディストーションとかコンプレッサーに似ていやしないかな。
情報の量と速度を音波に変換してみると、
近頃その波形は徐々に羊羹みたいに塗り潰されていってやしないか。
小さい情報が増幅され大きい情報は頭打ちになって、
ラウドだけれども全体としてはダイナミクスに欠けた情報の流れになってやしないかな。
ツイッターは使い方が様々であるし、
フォローしている人の数にもよると思うのだけれども、
いっぱいフォローしてタイムラインが情報で渋滞しているような人は、
そんな感じになってやしないのかな。

新聞がクラシック音楽のようなものだとしたら、
ツイッターはロックのような情報ラウド趣向の人向けなんじゃないのかな。

情報の量と速度がもっと増えて目一杯になると、
人々は情報の価値を見失ってなってゆきやしないかな。
情報に食傷気味になるというか、
情報に面白味を感じなくなってゆくというか、
情報が安っぽいものに見えてくるというか。

ロック、ポップスがどんどんトータルコンプを強くかけていったことによって、
ミュージシャンが奏でるダイナミクスが失われていったように。
ロック、ポップスがそういう道を辿っていったように。

でもその流れは変わることだってあるかもしれない。

昔、ぼくがオリジナル・ラヴでデビューした頃、
ミックスダウンの作業において、
すべての楽器になにがなんでもリバーブをかける、
というスタイルがスタンダードだった。
スネアドラムを叩けばバァーンとサスティンの長い音がする、
というのが標準だった。
80年代はそういう過度にエコーをかけたミックスが標準になっていた。

ぼくは70年代のソウルミュージックのレコードのように、
リズムをグルーヴさせたかったから、
ドラムはノンリバーブで、スネアにはミュ−トをつけ、
ボーカルもドライにしたかった。
スティーブ・リリー・ホワイトがやるような、
スネアにルームエコーをかけてゲートで切ったりするようなことは禁止にしたかった。
しかし、スネアドラムやボーカルのリバーブを外すことはタブーのようになっていて、
なかなかエンジニアを説得することは難しかった。
それが数年後には80年代的な過度にエコーがかかっているミックスは、
もう流行らなくなっていた。
90年代はドライなミックスが流行っていたように思う。

過剰さはいつか人々に気づかれて蕩尽される、みたいなことを、
ずっと以前、栗本慎一郎さんの本かなんかで読んだ記憶がある。




楽しくて大騒ぎのラテンオーケストラ

クローズドなパーティーで歌ってきた。
今日のパーティーで応援してくれた皆様、本当にありがとうございました!

慣れない場所だったけれど、
ベテランエンジニアがモニター環境を作ってくれたこともあって、
すごく気持ち良く歌うことができた。
そのベテランエンジニアは昔からの付き合いなのだけど、
最近やっと彼の腕の凄さが少し分かるようになってきたんだよな。

ツイッターで、ソウルフラワーの中川が、
グスターボ・ドゥダメル指揮のシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの映像を
リツイートしていたから観てみたら、
ひっくり返るくらい素晴らしい演奏で大興奮した。
さっそくぼくもリツイートしたら、
あれよあれよという間に100人近くの方がリツイートしてこられて、
そのどのつぶやきにも興奮した感想が添えられていた。
ツイッターはやっぱり、小さなラジオのDJをすることに似ている。
ツイッターの中の人々の動き、アクションの速さに驚く毎日が続いている。
時代の変化、加速していってる情報の流れを感じる日々が続いている。



Diaryページがスライのフレッシュ(キック!)

やっとこさDiaryページもブログっぽい見た目になりました。
今宵はフレッシュな気分で、
スライのフレッシュ(キック!)を聴きながらこのブログを書きます。

車でスタッフと移動中、iPhoneのアプリClock Radioで、
Punk→"Devil's Night Radio"を聴く。
パンカビリー、サイコビリーからグレンミラーなどもかかる、
いいムードのチョイスで気に入った。


尊敬する川崎の音仕上げのプロ中のプロに久しぶりに会いに行く。
ぼくはこの人の仕事も大好きだが人柄も大好きだ。

最近多い、
マスターに極度にトータルコンプをかけて潰しているために
波形がモニターに塗りつぶされているようなトラックのことを、
「我々は羊羹(ようかん)って言ってるんですよ」
とおっしゃっていた音仕上げのプロ。


この「羊羹」のことをツイッターにつぶやいたら、
予想以上にたくさんレスポンスが返ってきて驚いた。
このつぶやきは音楽クリエイター向け過ぎだし、
ぼくとしては独り言のつもりでツイートしたのだけれど、
みなが気にしている事柄に触れていたようだ。
ツイッターはクリエイター系の人たちも多く集まっているようなんだな。
クリエイターの意識を穏やかに刺激し合うサロンのような役割も、
ツイッターはこなすことができるようなんだ。


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